奇妙な形態をした生物を見ると、どうしてこんな姿になり、どうやって今まで生き残ってきたのかと、生物の進化と生存競争の果てしない旅に想いを馳せるものである。そんなユニークな形態から、「正面から見ると情緒不安定にさせられる」とインターネット上で時々話題に上がる魚がいる。それがクサビフグだ。
眼も口も主要な顔のパーツが縦長に見えるクサビフグの正面顔は、非常にインパクトがあり、初めて見た人の心を激しく揺さぶり、情緒不安定にさせる。インターネット上では「波動砲を撃てそう」、「ムンクの叫びみたい」、「おちょなんさんに似ている」など様々なコメントがあり、魚図鑑にあまり収録されていない知る人ぞ知るマイナーな魚だ。
クサビフグはその名が示すように、大きなくくりではフグの仲間に入るが、フグ目マンボウ科クサビフグ属クサビフグと分類単位で示されるように、マンボウ科の仲間である。今回はそんなクサビフグの知見を紹介しよう。
■情緒不安定にさせられる縦長の口の真相
マンボウ科魚類にはマンボウ属、ヤリマンボウ属、クサビフグ属の3属が含まれ、クサビフグ属には今のところクサビフグ Ranzania laevis 1種しか確認されていない。クサビフグと他の2属との外観的な違いは、胸鰭が細長く先端が尖っていること、体高が低く弾丸状の細長い体型であること、舵鰭(尾鰭に見える部位)が鱗で覆われていないこと、そして、口を覆う膜が非常に伸長することなどが挙げられる。
この伸長した口を覆う膜が原因で、正面から見ると縦長の口に見える。縦長の口では上下に閉じるとは考えにくいため、最近まで左右方向に口を閉じると考えられてきた。これはまた、ホルマリンやエタノールで固定された標本の多くが、左右方向に口を閉じかけているように見えることも一因と思われる。しかし、クサビフグが口を左右に閉じるところを見たことがある研究者は今まで誰もいなかった。
事実と推測はやはり違うもので、生きているクサビフグを観察した最近の研究によると、観察中のクサビフグは一度も縦長の口を閉じなかったことから、ずっと開けっ放しになっているのでは?と考察している。私もこの考察には同意している。何故なら、クサビフグを解剖してみると、真の口はこの伸長した口を覆う膜の奥にあり、骨格的には上下に閉じる構造になっていた。クサビフグの縦長の口が本当に動くのかどうかを確かめるには、さらなる研究が必要である。