「人生の先輩である私の強い希望で、親権は私が持つことを受け入れてくれました。これからはそれぞれ役者として、親として、新たなカタチのパートナーとなり、子どもを支えていきたいと思います」

 一方の篠原は、親権についてこう綴った。

「親権に関しましては父の背中を見せて育てていきたいとの市村氏の希望と父のようにたくましく育って欲しいとの私の願いが一致し市村氏が持つことを子どもたちとも話をしまして決定致しました」

 前出の芸能リポーターの石川氏はこう続ける。

「お2人のお子さんの幼稚園の送り迎えはずっと市村がしてたんです。自宅から自転車の前と後ろに子供を乗せて、幼稚園に通っていた。お父さんも頑張るなと思っていたんだけど、篠原さんは仕事が忙しくて家庭のことを考える時間がなかったんじゃないかな。息子たちもお父さんのほうに懐いちゃったのではないか。子供にとっては常に一緒にいてくれて、自分たちのことを考えてくれる存在は大事。市村さんにとっては歳をとってから生まれた子だから、かわいくて仕方がなかいというのもあるんだろう」
 
 2人が出会ったのは01年の舞台「ハムレット」(シェイクスピア原作、蜷川幸雄演出)での共演がきっかけ。市村は同じ劇団四季の女優と1984年に結婚したが、03年5月に離婚した。当時、篠原の「略奪婚」などと言われもした。2人の結婚には篠原の父親が猛反対していたのだという。

「お父さんに反対されたのがネックだったけど、2人はその頃、燃え上がっていたから結婚した。その時に、篠原のお父さんが早く子供を作りなさいと言っていた。お父さんはもう亡くなり、その通りになったんだけど、人生は皮肉なものだね」(石川氏)

 離婚しても、財産分与はなしとだという。

「コロナ禍で舞台が休止や延期となり、市村さんの方が影響は大きいのではないでしょうか。最近は篠原さんが女優やタレント活動に力を入れていたので、夫婦の収入格差はあったのではないでしょうか」(前出の芸能界関係者)
 (AERAdot.編集部 上田耕司)

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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