そう、「国際感覚」は、フェミにとっての頼みの綱なのだ。だからこそ東京五輪・パラリンピック誘致に是非はあったとしても、五輪をきっかけに、国際基準で性的マイノリティーや女性の人権を守る法律をつくれるのではないかと考え、実際に動いた人たちの思いはとてもよくわかる。それほど、この国の家父長制が根強いからだ。


 
 とはいえなのだった。今回、多くの人が不安を声にし、中止や延期を求めた東京五輪の強行開催を目の当たりにして思うのは、IOC自体も実は「国際感覚」などではなかったという現実だった。
 
 先日、IOC副会長のコーツ氏の発言が性差別的だと問題になった。2032年に五輪が開催される豪クイーンズランド州の首相(女性)に対し、恫喝とも取れるような発言を公衆の面前でしたのだ。州首相は東京五輪の開会式参加を拒否しており、そのことに対する叱責だったと見られている。実際コーツ氏は長々と開会式にいくらかかるのかとか、放送権がどうだとか、見なくちゃわからないことがあるんだよ!と苛立っていた。

 もしかしたらIOCは、全く国際感覚も現代的感覚もない、高齢男性たちの声が大きく、視野の狭い、利権にまみれた家父長なホモソーシャル組織だったのかもしれない。ジェンダー平等や多様性を標語にしてはみるが実はよくわかっておらず、自分に刃向かう女には思わず声を荒らげたり、意見を言う女には「わきまえない」と苛立ったりしてしまう習性を変えられない人たちの集団。だからこそパンデミックの最中に、日本の医療や人々の命や生活を犠牲にしてまでも五輪を強行するという蛮勇が可能になったのだろう。JOCとIOCはとても相性の良かったのだ。

 考えてみれば東京での開催が決まってから、IOCやJOCの問題がかなり大きく露呈した8年間だった。競合国だったトルコに猪瀬直樹都知事(当時)が差別発言をしたことなど、問題だらけだったのに、なぜ東京が選ばれたのか。フランス検察が調べていた2億円以上の賄賂の問題はどうなったのか。誘致時に汚染水や気候について明らかにうそをついたことは、なぜ問われないのか。昨年はコロナを理由に延期されたが、昨年よりも感染者数が較べものにならない状況で、なぜ強行されたのか。責任者は誰か。
 
 東京五輪に関する検証はこれから本格的に行われるべきなのだと思う。と書いていて不安になる。いったい誰がまともな検証をしてくれるのだろう。IOC以外の善良な国際社会か、またはこの国の私たちが諦めずに政治を変えていくことで、厳しい検証が行われ、その結果、責任者が適切に問われる国にしていけるのか。
 
 それにしても橋本聖子氏とバッハ会長の開会式あいさつは長くて意味なくて不評だった。やましい人ほどよくしゃべる、ということだと思う。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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