姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 明暗は表裏の如(ごと)くとはよく言ったものです。メダルラッシュに沸く一方、コロナ禍の感染拡大はもはや打つ手なしという有り様。このまま行けば、日本列島が異次元の感染状況に突入しそうです。

 アスリートを応援したいと思うのは人情です。「情」の部分でみれば、メダルラッシュが始まれば国民のムードも一変するとたかをくくった傲岸(ごうかん)な考えもあるようです。「理」の部分でみれば、感染爆発の脅威と人的な損失は計り知れません。

 なぜ、こんなことになったのか。そもそも五輪開催をめぐって多様な意見がしのぎを削る多事争論が欠けていました。すべてがクローズされたインナーサークルだけで処理され、五輪の組織や統治システムが、多様性とは真逆の硬直した上意下達の構造になっていました。だからこそ、女性軽視発言をはじめ、いじめ、ホロコースト、LGBTへの差別的発言など、数々の不祥事が露見したのです。

 リオデジャネイロ五輪の閉会式で安倍晋三前首相がマリオに扮して登場しました。その「スーパーマリオブラザーズ」は1985年、東京五輪開会式の入場曲に使われた「ドラゴンクエスト」は86年の作品です。

 一方、当時の細川護熙首相が「侵略戦争」発言をした93年の翌年に創刊されたのが、いじめ記事が掲載された「クイック・ジャパン」でした。細川発言に対する反発もあって「自虐史観」への批判が台頭し、安倍前首相がその代表的な政治家になったのです。ゲームやサブカル系のアーティストと安倍前首相は四半世紀後、東京五輪で合流することになります。「ノリがよければいいじゃん」という、万事すべてを時の勢いで判断する悪(あ)しき相対主義にほかなりません。

 ただ、それは日本だけの問題ではありません。自民族中心主義の凝り固まった、あぜんとするような韓国・文化放送(MBC)の放映や、国威発揚の度が過ぎる中国の様子を見れば、憂鬱(ゆううつ)な気分にならざるを得ません。

 それでも、私たちがどんな社会に生きているのか、それを取り巻く世界はどんな断面をさらしているのか。それらを浮き彫りにしたという点で、五輪開催は意味があるのかもしれません。

姜尚中(カン・サンジュン)/1950年本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍

AERA 2021年8月9日号