ムーダンが呼び出した中で最も古い時代の男性は関東大震災で「十五円五十銭」の濁音が発音できずに殺された経験を語る。死んだ祖母は「りんご」が言えずにどうしても「にんご」になる。彼らが語るのは日本語とウリマルが混じり合った一種の「ピジン日本語」である。ピジンは短命である。時代が下り「同化」が進むと話者がいなくなる。だが、ピジンは「二つの国のはざま」で生きることを余儀なくされた人たちの苦悩と可能性を同時に語ることのできる特権的な言語でもある。
どの語り芸でもそうだが、「語り」が物語を先に進め、音楽的な「節」に変わると、激情がほとばしり、ときには異形のものが姿を現す。「にんご」では、「語り」が日本語、「節」がウリマルに振り分けられている。この作品は「二つの国のはざま」に落ち込み、どこにも決定的に帰属できない在日の生き方を語ると同時に、二つの国、二つの言語、二つの文化の間を架橋するという企ての豊かな可能性を示唆してくれてもいる。
この画期的な作品の初演の場を提供できたことを私はとても誇りに思っている。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2022年12月5日号