延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
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長嶋茂雄(1974、撮影:篠山紀信)
長嶋茂雄(1974、撮影:篠山紀信)

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。長嶋茂雄と篠山紀信について。

【写真】1974年に篠山紀信さんが撮影した長嶋茂雄さん

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「散漫」「芯がない」「忖度(そんたく)」。東京オリンピック開会式は散々な評価だが、不思議なのは、愛弟子の松井秀喜に支えられながら宿命のライバル王貞治と聖火を掲げた長嶋茂雄に触れた論評がごく僅かだったことだ。

 戦後日本の象徴としてアポロンの如く輝き、国民を熱狂の渦に巻き込んだヒーローがテレビ画面に帰って来たというのに。

 ミスターは歩いた。笑顔なく、じらされるほどゆっくりと。しかし、僕にとってその時間は甘美そのものだった。

 僕は数週間前から、東京都写真美術館での回顧展「新・晴れた日 篠山紀信」に何度も通い、ある写真の虜(とりこ)になっていた。それは「長嶋茂雄 対大洋17回戦 東京・後楽園球場」(1974年)。

「読売巨人軍黄金時代の大スター長嶋茂雄はこの年引退。球団も10連覇を逃した。この写真を長嶋さんにぼくが見せると『そうです! いまのぼくはこの通りです。是非プリントして下さい』と言う。プリントされた写真は長く長嶋家に飾られていたという」(「篠山紀信作品解説」より)

 青々としたグラウンドを背に、現役晩年のミスターが首を傾げ走り去る。野球帽の下に悔恨が想像できるからこそ、往年の躍動が見て取れる。この見事な一葉は日本経済の衰えを予言していた。経済だけではなく、文化も。

「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」は三島由紀夫自決の4カ月前の言葉だが(サンケイ新聞「果たし得ていない約束─私の中の二十五年」1970年7月7日)、紀信さんは三島の更に先、爛熟(らんじゅく)した日本の凋落(ちょうらく)を長嶋の「うなだれ」越しに直感していた。

 五輪開会式で世界のアスリートが笑顔で手を振る一方、年老いたアスリート長嶋茂雄が聖火という栄光の松明(たいまつ)を無言で掲げていた。僕はそこに紀信さんの「長嶋茂雄 対大洋17回戦 東京・後楽園球場」の一枚を重ね合わせたのだ。陽と陰の鮮やかな対比は、紀信さんが薬師如来を抱く名刹(真言宗円照寺)の出だからなのだろうか。

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