東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 緊急事態宣言の延長と拡大が決まった。東京など6都府県に出されている宣言の期限が9月12日まで延長され、対象地域に京都や兵庫など7府県が追加された。新規感染者は連日2万人を超え、重症者数は日々最多を更新している。

 とはいえ市民の反応は驚くほど鈍い。人々は緊急事態に慣れきっている。ワクチンが普及し死者数が抑えられていることも大きい。街の空気は昨年4月の最初の宣言時とまったく異なっている。

 ネットではその状況に苛(いら)立ち、強いロックダウンを求める声が高まっている。分科会でも個人の行動を制限する法整備の必要性が議論されたという。けれども実現は難しいだろう。現状で自粛の要請は限界まで行われている。これ以上の人流抑制を求めるなら、外出したら罰金、県境を越えたら逮捕といった強制力を導入するほかない。現憲法下ではそれは困難だし、そもそも国民が許容するかどうかも疑わしい。いずれにせよ慎重な議論が必要なはずで、喫緊の危機には間に合わない。

 ではどうするか。結論からいえば、感染拡大をあるていど許容し、それに耐えるように医療体制を変えるほかないはずである。具体的にはコロナの感染症法上の分類を見直し、より多くの病院が入院患者を受け入れられるようにすべきだろう。医療関係者からは、そうすると命の選別が始まる、医療の質が落ちると反論があるが、これだけ大規模な流行のなか、従来と同じサービスを維持できると考えるほうに無理がある。平時で救えるべき命が救えなくなるのは痛ましい。しかしそれが災害というものだ。

 日本はこの1年半、強権的な戒厳令を発することもなく、自粛の「お願い」だけで感染を抑え込み、通常医療を維持してきた。それは世界に誇るべき成果である。けれどもそんな「日本モデル」は、変異株の出現と人々の自粛疲れで急速に機能を失い始めている。

 ワクチンも万能ではない。これから新たな変異株も現れるかもしれない。私たちはその現実を認めて再出発しなければならない。行動変容と感染防止が最大の正義だった段階は、もはや終わったのである。

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA 2021年8月30日号