「鮒」から始まる連作短編は、「ビリケン」「三角波」と続き「嘘つき卵」で幕を閉じる。
この原稿を書いたのち、向田さんは8月20日に日本から台北へと向かい、翌々日の22日、台北から高雄へと向かう途中、飛行機事故で亡くなったからだ。
もしかすると向田さんは、その飛行機の中でも、次の作品の内容を頭の中で考えていたかもしれないし、あるいはアイディアを手帳にメモしていたかもしれない。本来なら短編だけで構成されるはずの『男どき女どき』にエッセイが同居しているのは、そういう思いもよらぬ経緯のためなのだ。「嘘つき卵」に続く作品も、まだまだ読んでみたかったと切なくなる。
収められたエッセイの中に、「甘くはない友情・愛情」という文章があった。『あ・うん』について書かれた読者からの投書に、作者自らが答えたものだ。
そこに、「みにくいもの、危険なものをはらんでいるからこそ、そこで結ばれた人間同士のきずなはほんもの、という気がいたします。」という一文を見つけた。ハッとさせられ、思わず顔を空に向ける。
向田さんは、このことを徹底して作品の中で描いていたのだ。綺麗事では済まされない人と人との関係の中で、それでも必死に美しいものを拾い続けていたのではないだろうか。たかが人、されど人。
向田さんが残した作品では、人間の愚かさも気高さも、渾然一体となっている。向田さんは、人の愚かさを笑いにひっくり返す天才だなぁと、しみじみ思った。
人生には、男どきも女どきもある。そして、人生には何が起こるか本当にわからない。きっと向田さんは、ご自身の運命を笑い飛ばされているのだろう。でもやっぱり、愛読者としては、91歳の向田さんにお会いしたかったのである。
※週刊朝日 2021年9月3日号