ここ最近、また「おじさん」たちが世間を騒がせている。というか、厚顔無恥かつ無神経な発言に世間があきれ返り、批判の的になっている。だが、金メダルにかじりつく政治家も、女性ボクサーを侮蔑する野球評論家も、形ばかりの謝罪はするがまったく反省している様子はない。こうした「おじさん」たちは、いつの時代にも同じ過ちを繰り返しながら生息し続ける。ジェンダーやコンプラインス意識がこれだけ変化している時代に、なぜここまで鈍感に生きられるのか。男女それぞれの“おじさん通”に理由を聞いてみた。
【写真】「14歳と性交して捕まるのはおかしい」と主張したおじさん政治家はこの人
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8月4日、名古屋市の河村たかし市長(72)が、ソフトボール日本代表の後藤希友選手の金メダルをかじり、「恋愛禁止か?」などのセクハラ発言をした姿は日本中を震撼(しんかん)させた。SNS上では「気持ち悪すぎる」「吐きそう」などの言葉がならび、市役所にも抗議が殺到した。河村氏もすぐに発言撤回に追い込まれ、23日には市職員に向けて直筆の謝罪文を出すにまで至った。
だが、その謝罪文は殴り書きのような字に幼稚な文面で、末尾を「以上」と偉そうに締めくくられていた。当然ながら、誠意のない謝罪文と受け取られ、火に油を注ぐ事態となった。ネットでは再度「自ら“金メダル事件″と名付けて再び炎上」「手書き文字下手すぎて謝罪感ない」などの声が上がったが、河村氏の鈍感さにはあきれ返るばかりである。
なぜ、ここまでの事態になっても自らの発言を顧みることができないのか。『ニッポンのおじさん』などの著書がある社会学者の鈴木涼美さんはこう指摘する。
「謝罪文は、市に寄せられた迷惑な行為から職員を守るために<俺が一肌脱いで土下座してやった><そんな俺は武士のようにかっこいい>という、あたかも人の失敗をかぶってあげたかのように読めます。小ざかしい人なら、表向きは心を打つような反省文を書いて、世間を丸め込んでみせるのでしょうが、その演技すらできない。自分が加害者だという意識がまるでなく、むしろ炎上の被害者だと思っているのではないでしょうか。自分の勇気ある謝罪によって、その場を収めようとするヒーロー気取りのようにも見えます」