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 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「明石家さんまさん」について。

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 先日、久しぶりに明石家さんまさんと仕事をご一緒しました。私にとって「明石家さんま」は、仕事をするよりテレビを通して観てきた時間の方が圧倒的に長いわけですが、改めて「私たちは明石家さんまのことを本当によく知っているな」と感じた次第です。

 もちろん、ほとんどがテレビやラジオ、週刊誌などから得た情報であり、それらすべてが彼の真実や本音であるはずもないことは重々承知しています。それでも何故か「さんまちゃんに関する情報は、自動的にアップデートされて当たり前」と勝手に思い込んでいる日本人は実に多く、まるで家族の話を聞くように私たちは「さんまちゃん」の口から語られる彼の日々のあれこれに耳を傾け、シェアしているのです。その「関係性」というのは、何でもかんでも特定し晒し匂わせるという殺伐とした現代の社会システムとはむしろ真逆と言えます。おそらく「明石家さんま」個人の発信力と伝播力がSNS全体のそれを優に超えているからかもしれません。

 そんなさんまさんとの仕事。ついよそで見聞きした「さんまちゃん情報」を知ってるつもりで本人にぶつけてしまうことがよくあります。普通なら「なんでそんなことお前が知ってんねん?」となるような、失礼かつダサい絡み方です。ただ、さんまさんの場合、「あれやろ? こないだ週刊誌に書いとったの俺も見たわ!」と、瞬時にこちら側のスタンスに視点を変えるスゴ技を持っています。彼の中では、「明石家さんまである自分」と「第三者目線でさんまちゃんのことを見ている自分」という二つの主体があり、それをコミュニケーションの角度や相手によって自然に使い分け、こちらが抱いている勝手な関係性を極力生かしてくれるのです。以前、「新幹線で通路を挟んで横隣に座っていた見知らぬおっちゃんに、新大阪から東京までずっと『旧知の仲』のようなテンションで話しかけられ続けたのを普通に相手した」という話を聞いたことがありますが、いざ「明石家さんま」を前にしたらそうなってしまう危険性を孕んだ人間が、私を含め日本には何百万といるということです。「人気や知名度を得る」と「人気や知名度を受け入れる」は似て非なるもの。後者を実践し続けてきたのは、明石家さんまさんと、先に亡くなられたアントニオ猪木さんぐらいではないでしょうか。

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