競泳の鈴木も、静岡県出身者が活躍した理由について「正直分からない」と言う。
「私の場合は6歳の頃に水泳を始める段階で、障害者のスイミングスクールがあって、そこに通うことができたのが大きい。30年近く前に、そういう土壌があったのは大きいポイントだと思います」
通ったのは、浜松市内にある障害者のための水泳教室「ぺんぎん村」。生まれつき右足が付け根からなく、左足はひざまで、右腕はひじまでしかない鈴木は、そこで泳ぎを学んだ。
「静岡は障害者がスポーツに親しむ裾野が広いと思います」
そう語るのは、静岡県障害者スポーツ協会評議員や静岡パラ陸上協会理事長を務めている杉山金吾さんだ。静岡南部特別支援学校校長で、ボッチャの杉村が小学1年のときの担任だった。
裾野が広い背景には、パラアスリートの存在がある。その一人が、静岡県出身で東京パラリンピック日本選手団団長の河合純一さん(46)だ。1992年バルセロナ・パラリンピックから6大会連続で出場し、日本人最多の21個のメダルを獲得した。日本人で初めて国際パラリンピック委員会の殿堂入りも果たしている。この活躍で、地元メディアが障害者スポーツを報道する機会は多かった。
現在は、リオ・パラリンピックに出場した静岡県勢12人が「障害者スポーツ応援隊」の一員として県内の学校で講演や交流をしている。
また、県内では誰もが気軽に参加できる5千人規模の障害者スポーツ大会「わかふじスポーツ大会」が毎年開かれている。今年で22回目となる。それぞれの競技の運営は主に健常者の競技団体が担っていることもあり、健常者と障害者のスポーツの垣根が低いという。静岡県サッカー協会チャレンジド委員会代表の瀬戸脇正勝さんは言う。
「視覚障害や切断、知的障害など障害者サッカーも県サッカー協会の委員会の一つとして活動していて、各団体のネットワークも強い。健常者が審判や練習相手になり、障害者の専用の施設はなくても、天然芝や人工芝など恵まれた環境で練習や試合ができるので他県からもうらやましがられます」