人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、瀬戸内寂聴さんと秘書の瀬尾まなほさんについて。
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寂庵は、竹林をバックに静もっていた。秘書の瀬尾まなほさんが出迎えてくれる。前日が瀬戸内寂聴さんの命日、一周忌にあたるので、案内された仏間はその名残で満ちていた。たくさんの花々に囲まれて、紅紫色の法衣をまとった寂聴さん。
寂庵に足を踏み入れるのは初めてだ。
寂聴さんが亡くなって、このコラムで初めて書いたのだが、一九七三年、平泉の中尊寺で得度して瀬戸内晴美から寂聴になるその日の手記を、テレビの朝の情報番組で読んだのが私だった。誰にも知られてはならず、こっそりスタジオ入りし、終わってすぐ帰宅させられた。
晴美から寂聴へ、その厳粛な瞬間に立ち会った気がして、安易に寂庵に立ち入ってはならないと自ら決めていた。
二階の応接室に向かう途中、一階の廊下でまなほさんが立ち止まった。
「ここが一番お気に入りの場所でした。ここから西に向かってしばらく佇んでいらっしゃることが多かった……」
まもなく沈もうとする夕日の最後のきらめきが、竹林を通して庭に差し込み、紅葉が息づいてみえた。
「この子、この子なのよ!」
帝国ホテルでの朝日賞受賞の日、「あ、この方が?」といった私に少し甲高いいつもの調子でまなほさんを紹介したのが、私が耳にした最後の言葉になった。
そのまなほさんと寂庵で向き合って三時間近く、正直でまっすぐな目が私をずっと見ていた。
寂聴さんは何といい秘書を持たれたか。秘書というより、二人は友達のようだったのではないか。けんかもしたし、寂庵で死にたいという寂聴さんの思いを誰よりもわかりながら、病院から離れられない日々。
まなほさんの話しかけに「うるさい!」という言葉が最後だったとか。
誰にも邪魔されず早くひとりになりたかったのだろうか。