土井氏は菅氏の総裁選不出馬をニュース速報で知ったという。「もっと頑張ってほしかった。でも退陣するというより、任期を全うした勇退です。そういう受け止め方をしています」
さて、菅氏に引導を渡したのは誰か。関係者によると、菅氏が8月31日に二階俊博幹事長と会談し、総裁選前の解散も選択肢にあるとの考えを伝えた。その晩、安倍晋三前首相が「自民党を道連れにする気か。絶対に許さない」と激高したという。麻生太郎財務大臣も続いた。
そもそも菅政権の誕生のきっかけは、安倍氏が任期途中で退陣したことだった。総理の神輿に担ぎ上げた2人によって、菅氏は「解散権」を封じられた。
再選に執着する菅氏は、ならばと「人事権」を駆使する。
総裁選の対抗馬と目される岸田文雄氏は、公約に「党役員の任期を1期1年、連続3期まで」と掲げた。それを打ち消すため、5年にわたり幹事長を務める二階氏の交代を決断。続けて、総裁選前に党役員人事にも手をつける算段だった。だが誰も引き受け手が現れず、万策が尽きる。最後に幹事長を打診したのは、同じ神奈川県出身で32歳下の小泉進次郎氏だった。
杉田敦・法政大学教授(政治理論)は、「権力があれば何でも言うことをきかせられる」という菅流のやり方の頓挫だと分析する。「結局、役人は人事を握れば何でも言うことをきかせられる。その成功体験が、落ち目になった途端に、通用しなくなっただけのことです」
まさに策士、策に溺れるという、あっけない幕引きだった。(編集部・中原一歩、福井しほ)
※AERA 2021年9月13日号