苗字は忘れましたが、名前は松子か、松江でした。私たちは間も無く、その子を「洟たれ松っちゃん」と呼ぶようになりました。いつも洟を二本垂らしていたからです。先生はなぜか私に、優しい笑顔をむけ、「松っちゃんにやさしくしてね、松っちゃんは小さい時病気をして、脳が弱いだけなのよ。お母さんもお父さんもいなくて、おじいちゃんひとりが、世話をしているのよ」と言うのでした。

「はあちゃんは、しっかりしてるから、先生からも、松っちゃんのこと、よろしくお願いするわ」

 と続けられます。その間も松っちゃんは洟をたらしたまま、ニタニタ笑っているばかりです。

 その頃から男女は別の教室でしたから、クラスに乱暴な男の子がいないのが、何よりでした。

 秋には運動会があります。生徒たちは、運動会のため、リレーの稽古や、男の子は野球の練習に集中しました。私たちは、みんなで踊るダンスを習いました。私は何よりもダンスが得意でした。クラスみんなで輪になって踊るのです。私たちはみんな張り切って、音楽隊に合わせて踊り始めました。だんだん私たちは動いて、見物席の貴賓席の前まで来ました。なんとしたことか、洟たれ松っちゃんが木のように突っ立って、いくら私がその体を回そうとしても石が埋まったように動きません。

 私は必死になって、松っちゃんの体にしがみつき、なんとかその体を引き回そうとするのですが、動きません。そのうち、見物席から、突然、拍手がわきおこりました。私の大奮闘ぶりがいじらしく見えたのでしょうか。でも、私は悲しく、悔しく、涙が堪えられませんでした。空いっぱいに張り巡らせた万国旗が涙に霞んで見えなくなりました。

 あ、さっきまで晴れていたのに、いつの間にか雨がひっそりと降っています。

 突然思い出した洟たれ松っちゃんは、どこでどうしていることでしょう。ヨコオさんが、早くも宮本武蔵の絵を描いている頃のことです。

 入院は、私も今年はずいぶんしました。ヨコオさんのように傍若無人な患者ではなく、終日、おとなしく本を読んでいる模範患者だと思いますよ。私も入院が最近とても好きになりました。ヨコオ夫人が白衣を着せられた姿が見たいものです。三宅一生のデザイン? またね。

週刊朝日  2021年9月24日号

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