安福さんも学生時代に魅了された。京都大学理学部1年のときに出合い、問題を投稿して何度も掲載された実績を持つ。問題作成の方法を尋ねると、
「数字をどこに置くかから始めます。きれいに配置するのが基本。そのうえで、ここからこう考えて解いてもらおう……と設計していきます。解き方も何種類かありますが、こうすると解けるというルートを設け、『ちゃんと見つけてね』と願いながら作っていきます。解く人にこちらが意図した面白さを理解してもらえたら嬉しいですが、意図とは別のやり方でスルスルと解けることもあり、それもまた面白い」
数独の問題作成には絶対に譲れない「美学」があるという。
「論理を積み重ねて『この数字はここにしか入らない』という決まり方でないと、良い問題とはいえません。どっちに入れようかと迷ってギャンブルで解いてもいいのですが、嬉しさは半減します。解く人は、論理的に考えてわかったときの達成感を大事にします。その喜びを満たす問題を作っています」
安福さんは鍜治さんに、大学卒業後はニコリで働きたいと願い出た。
「でも反対されました。まじめに諭されたこともありますし、飲みながら言われたこともあります。ニコリは当時、まだ小さな会社。京大なのにもったいないというのがあったんでしょう。両親の許可を得たのか、と聞かれました。面倒見の良い方だからこそ、心配してくださったのだと思います」
安福さんが入社した90年当時の社員は数人。雑誌刊行がやっと定期的になりつつあるころだった。
それから10年余り。数独は世界中のパズル好きの心を掴むことになる。
きっかけを作ったのは、ウェイン・グールドさんというニュージーランド人。香港で判事をしていた彼は、遊びで東京に来て数独と遭遇。すぐにはまり、数独を作成するコンピューターソフトを独自に開発。それを使用して多くの問題を作ったうえ、ニコリに「数独の名前を使って売り込んでいいか?」と打診してきた。