自宅のウッドデッキでくつろぐ養老先生と愛猫の「まる」。先生とは18年間生活を共にした家族の一員でした。昨年12月の訃報はニュースとして配信されるほど、先生のファンをはじめ多くの人に愛された猫でした。(写真/渡辺七奈)
自宅のウッドデッキでくつろぐ養老先生と愛猫の「まる」。先生とは18年間生活を共にした家族の一員でした。昨年12月の訃報はニュースとして配信されるほど、先生のファンをはじめ多くの人に愛された猫でした。(写真/渡辺七奈)
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病院で検査を受けて『帰りに天ぷらでも食べよう』と話していたら、医師があわてて『養老先生、心筋梗塞です』と」

【写真】55歳の頃の養老先生はこちら。後ろには懐かしのMacも!

 数々のベストセラーを世に送り出す、解剖学者の養老孟司先生。養老先生は昨年、医師から「助かったのは運がよかった」といわれるほどの大病を患いました。今回は、そんな経験を経た先生の生き方や死ぬということへの思いを伺いました。

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「なんだか体調が悪い」。最初にそう感じたのは昨年6月10日頃でした。もともと糖尿病があって、1年で体重が15キログラム減ったのに加え、コロナ禍で外出する機会も減ったので、そのせいかとも考えました。家族の勧めもあり、本を一緒に書いたこともある東京大学医学部附属病院の中川恵一医師に受診の相談をしたのが6月12日です。

 そして6月26日に東大病院を訪れました。実に25年ぶりですよ。中川医師に診てもらい、血液検査と心電図の検査を受けました。血液検査では糖尿病の数値が高かったものの、これは予想通りだったので、待合室で家内と秘書たちと「せっかくだから天ぷらでも食べて帰ろうか」と、のんきに話をしていました。

 そこに中川医師が急いでやってきて、「養老先生、心筋梗塞(こうそく)です。そのまま動いてはいけません」と。その日のうちに心臓カテーテル治療(※手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、狭くなった血管を広げる治療法)を受けました。心臓に血液を送る大きな動脈が詰まりかけていて、これが完全に閉塞していたら万事終わりでした。

 病院には2つの出口があります。1つは阿弥陀様がお迎えに来て、「他界」へと抜けるための出口。もう1つは「娑婆(しゃば)」の出口です。どうやら阿弥陀様には見放されたらしく、とりあえず娑婆の出口のほうから病院を出ることができたわけです。

1993(平成5)年、東京大学の研究室で撮影された55歳の養老先生。当時から医学部教授として研究を続けながら、数々のエッセイを出版し文筆家としても活躍していました。(c)朝日新聞社
1993(平成5)年、東京大学の研究室で撮影された55歳の養老先生。当時から医学部教授として研究を続けながら、数々のエッセイを出版し文筆家としても活躍していました。(c)朝日新聞社

■患者も医師も大切なのは「体の声」を聞くことです

 世間的には「養老孟司は、病院嫌いだ」というイメージもあるようです。実際に健康診断の類はもう何も受けていませんし、今回も病院に行くか否かで散々悩んだ末での決断でした。

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嫌いだった病院に行く決心をした理由とは