河野太郎行革相(C)朝日新聞社
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 4人の候補者による舌戦が続く自民党総裁選。中でも台風の目と見られているのが河野太郎行革担当相だ。はたして河野氏とは一体何者なのか。

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 河野氏が生まれ育ったのは神奈川県平塚市。父は自民党総裁も務めた河野洋平・元衆院議長だ。祖父は河野派を率い、農林相や建設相を歴任した河野一郎氏で、3代続く政界のサラブレッドだ。

 小学校は地元の花水小学校に6年間通った後、慶応義塾中等部、高等部と進んで慶大経済学部に入ったが、留学のためにわずか2カ月で退学。渡米後に、ジョージタウン大学に入学した。この頃に知り合ったのが、元自民党参院議員の山本一太群馬県知事だ。

 「一番最初に会った時に『総理大臣になりたい』と言われて、『何だコイツは』と思ったのを今でも覚えています。当時から大胆で、決めたらすぐに行動に移す。良い意味で、情熱で突っ走る人でした」

  85年に大学を卒業し、富士ゼロックスに入社。その後、96年の衆院選に33歳で初当選した。当時は父の洋平氏が現職。選挙前は河野家から2人の候補者が出ることに、洋平氏が猛反対したという。地元の後援者は言う。

 「洋平さんとは選挙区は違っても、世襲議員ということで最初は批判があったのも確かです。それでも、本人は1期目から『総理大臣になる』と言い続け、努力を重ねてきた。そのことは地元の人もよく理解していて、次第に世襲で批判されることはなくなりました」

  河野氏の代名詞となった原発政策批判は、2011年に東日本大震災が発生する前から取り組んでいたライフワークだ。

  だが、これが党内で嫌われる原因になる。原発推進派を厳しく批判していた河野氏は、身内の自民党の政治家も容赦なく攻撃したからだ。

  11年5月には、朝日新聞のインタビューで甘利明衆院議員(現・党税調会長)を批判。「次の選挙でそういう議員を落とすしかない」とまで言い放った。

  この発言への反発は激しかった。今回の総裁選でも、甘利氏は河野氏について「(菅首相への批判の原因が)ワクチンの迷走と言われ、ワクチン担当相の評価が上がるってどういう構図になっているのかよくわからない」と、皮肉交じりに語っていた。その背景には、原発をめぐる対立があったのだ。

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