昭和天皇が和歌推敲に使ったとみられる原稿
(c)朝日新聞社
昭和天皇が和歌推敲に使ったとみられる原稿 (c)朝日新聞社

 お出かけ先で、安珍清姫伝説の伝わる日高川(和歌山県)をご覧になると、「日高川という題で和歌を作ってみたらどうだい」

 と、そばの者におっしゃる。昭和天皇の時代は、そういう雰囲気があったという。

 「いまも地方に天皇が行かれると、その土地の川や山の名前を詠み込んで、和歌をお作りになる。

 それは、その土地で暮らす人々の生活への祝福の意味を持ちます」(岡野さん)

 さかのぼること平安の時代。醍醐天皇が命じて編纂されたのが、日本最初の勅撰和歌集となった『古今和歌集』だ。歴代天皇や上皇、法皇が命じて編纂された勅撰和歌集は21集にも及ぶ。

天皇陛下は日本文化の伝統を引き継いでおられる存在なのだと、あらためて実感したものでした」

御進講室・応接室。新年の天皇ご一家の集合写真の撮影にも使用される(c)朝日新聞社
御進講室・応接室。新年の天皇ご一家の集合写真の撮影にも使用される(c)朝日新聞社

 平成の天皇ご一家が新御所へ引っ越した際や上皇ご夫妻の仙洞仮御所への引っ越しでは、作業をする間、ご本人方は御用邸などに滞在してきた。 コロナ禍がおさまらない今回の引っ越しでは、県をまたいだ行動を控えるために、天皇ご一家は宮殿に滞在した。

「もともと御用邸、というのは作業を職員に任せて、ご一家がのんびり休暇をお過ごしになるという話ではないのです。ご本人方が引っ越し先におられると、職員の作業がはかどらないという問題が生じます。そのために、いわば、職員の働きやすさへの配慮から、御用邸などに滞在していただいていたわけです。今回、天皇ご一家が御用邸に代わって滞在なさった宮殿は、生活する場所ではありませんのでさぞかしご不便もあったと思います」

 天皇ご一家が新御所に移り、いよいよ本格始動する。令和の皇室は、どのような顔を見せてゆくのだろうか。

(AERAdot.編集部 永井貴子)

 たが・としゆき 1950年生まれ。大阪学院大学外国語学部教授、中京大学客員教授。外務省に入省後、国連日本政府代表部の一等書記官などを経て93年から天皇陛下の侍従を務める。駐チュニジア大使、駐ラトビア大使を務め、2015年に退官。

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