1993年 赤坂から新御所へ引っ越す平成の両陛下と紀宮さま。中央奥には、勾玉を運ぶ当時の多賀侍従の姿がある
(C)朝日新聞社
1993年 赤坂から新御所へ引っ越す平成の両陛下と紀宮さま。中央奥には、勾玉を運ぶ当時の多賀侍従の姿がある (C)朝日新聞社

 平成も令和も共通するのは、天皇に続くのが皇后ではなく剣と勾玉を運ぶ侍従である点だ。

「通常ならば、天皇陛下に続くのは皇后さまですが、順番を譲られて剣璽のあとにおられた。剣と勾玉が皇位継承のしるしであるためでしょう」

 剣璽が運ばれるときは、黒い箱に納められる。 三種の神器は、天皇自身も直に目にすることが出来ないとされており、もちろん侍従が箱を開け中を見ることもない。

「勾玉を運ぶ役目を、当時の山本悟侍従長より言いつかったのは数日前でした。両陛下と宮内庁は、外務省から侍従職に出向して間もない私に任せてくださった。その寛容さにただただ驚き、同時に間違いがあってはいけないと自分に言い聞かせました」

 もっとも忠実な側近のひとりと言われた目黒侍従が背中を押してくれたこともあり、多賀さんは大役に臨んだ。

 あまり知られていないが、天皇家の引っ越しならではの習慣もあった。 

 のちに侍従次長となる八木貞二侍従が、多賀さんにこう話しかけた。

「新御所へのお引越しの際は、お祝いの気持ちを謳う和歌をつくり、陛下に献上するのが習わしですよ」

 和歌を詠んだこともない。ましてや陛下に献上した経験もない。

 四苦八苦しながらなんとか一首を詠んだ。そして慣れない手つきで筆を持ち、半紙につづった。

 天皇陛下にお供して、勾玉を捧げつつ、新しい御所の玉砂利を踏みしめて進む。新御所での陛下とご家族のご多幸をお祈りせずにはいられないーー。

 陛下に献上したのは、そんな内容の和歌であったという。

「天皇家の日常は、和歌とともにありました。天皇が1月に催す『歌会始の儀』は、よく知られていますし、私がお仕えしていた頃は、毎月催された月次歌会(つきなみのうたかい)もありました」

 かつて昭和天皇と平成の天皇の和歌の御用掛を務めた岡野弘彦さんは、こんな話を記者にしたことがある。

 和歌といえば10万首を残したた明治天皇が有名だ。昭和天皇もまた、1万首の和歌を残したとされ、和歌のお好きな方だった。

次のページ
引っ越し中に、御用邸に滞在する理由