「10 BABYMETAL BUDOKAN」Photo by Takeshi Yao
「10 BABYMETAL BUDOKAN」Photo by Takeshi Yao

 メタルのバンドを組んでいましたが、メタル以外の音楽も好んでいたので、さまざまな音楽に触れていました。ただ、いろんな音楽を聴く中でも、一貫して好きだったのがヘヴィメタルで、それは大人になった今でも変わらないということです。

――そこからBABYMETALという大プロジェクトを率いることになるわけですが、もともと、仕事としてメタルに携わりたいという思いはあったのでしょうか。

 1日24時間という限られた時間の中で、どうしたらモチベーション高く仕事に臨めるかを考えたときに、やはり一番自信が持てる音楽に携わりたいという思いはありました。そういう意味で、選択肢としてメタルがあったことは確かです。

――BABYMETALが結成されたのは2011年ですが、その時からメタルとダンスを融合させた「BABYMETAL」という形は見えていたのでしょうか。

 当時は大所帯の女性グループが隆盛で“バブル”ともいえる状態でした。いくら時流に乗っても、そこから一歩抜け出さないとすぐに消えてしまう。ワタクシが構想していた「メタル×ダンス」というスタイルはなかったので、チャンスはあるかなと思っていました。これはいけると確信できたのは「BABYMETAL」という名前が降りてきたときです。そこからメンバー、スタッフがモチベーションを高く持ち、チームとして一丸となって動けたことが飛躍につながったと思います。

――本では「メタル的」なマインドを持った生き方についても紙幅が割かれています。ドラえもんから元プロ野球選手まで多岐にわたってメタルとの共通項を挙げていますが、普段からこうした視点は意識しているのでしょうか。

 BABYMETALというアーティストの成り立ちもそうですが、既存の枠組みや常識から一歩抜け出さないと、発展や進化はありません。ヘヴィメタルという音楽ジャンルは、古き良き伝統を大事にする“メタル・エリート”と呼ばれる人たちが多い分野でもあります。ワタクシは「メタルSDGs」と称しているのですが、時代の流行に流されずに、世界各国それぞれの地域で独自のメタルが生まれて、そのコミュニティーでミュージシャンもファンもメタルを循環させていく仕組みがあります。だからこそ、世界中で一定の市場が残ってきたというメリットがありました。

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今こそ「メタル的思考」を見直すべき