こういう性格を全面的に認めたのは養父母でした。出世などしなくてええ、健康であればええといつも言っていました。むしろ目立つ存在になることを恐れていました。老齢の両親は自分から離れて遠く(都会)へ行くことをいつも不安で恐れていました。だけど両親の思惑と無関係に僕は両親の元から離れざるを得ない運命に従って老両親を悲しませる結果になりました。

 この十代の頃に形成された人格は、その後も大きくは変わらなかったと思います。そしていつの間にか運命論者になっていました。物事を決定する岐路に立つ時は、自分の意志よりも他力の要求に従うような横着な人間になっていました。そのことで利益やチャンスを逃がすこともありましたが、いつも結果オーライだったと思います。

 今、老齢を迎えて考えるのは十代の生き方を再び反復していることに気づきます。悟ったわけでもなんでもないですが、老齢になると欲望がなくなります。自分まかせにすると、欲望に振り廻されますが、他人の要求にまかせた方が、生きやすくなります。その意味でも人間は年を取るべきだと思います。欲望が安定して初めて人生がスタートラインに立つように思います。「時間がないよ」といわれそうですが時間の問題ではなく、欲望の質の問題です。と思うと、老後の愉しみもまんざらでもないです。

 では、また来週。

週刊朝日  2021年10月8日号

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