
半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
* * *

■横尾忠則「欲望が安定して初めて人生がスタートします」
セトウチさん
最近は自分の境遇について考えることが多くなりました。実の親の元で生まれた自分が、どうして別の親の元で育てられることになったのか、自分のあずかり知らぬところで、宿命とは言え、不思議な運命の縁を感じます。
もし実の親の元で育てられたとすると、恐らく今の僕の人生とは異った生き方をしたと思います。様々な偶然の条件が重なって今の自分が存在していると考えると、まるで阿弥陀くじのような不思議さを感じます。気がついたら畳の上に寝そべって絵を描く子供になっていました。こうしたことが自分の意志かどうかもわかりません。わかるのは描くように生まれてきたというだけで別に将来画家になりたいなんて一度も思ったこともないです。なりたかったのは郵便配達夫です。それが複数の邪魔が入って夢を実現させてくれませんでした。
「夢は実現する」なんて僕には幻想でした。実現しないように見えない運命によって計られてしまいました。そして結局願望もしなかったグラフィックデザイナーから画家に「させられた」のです。こう考えると、人生は誰かが操作しているように思わざるを得ません。自分の生誕だって、運命のいたずらです。自分の意志とは無関係に、人生はどんどん思いもしない方向に運ばれていきました。
だったら一層のこと運命に従わせた方が便利だし、余計な努力も必要ない、という考え方が僕の十代で完全に定着してしまいました。まるで諦めた人間のように、南から風が吹けば北に傾くすすきのように、なるようになればいい。時に人には優柔不断に思われたかも知れません。何かに抵抗するとか、他人と競争するという気持ちが希薄だったせいで、大した苦労も悩みもしなかったのかなあ。