中村メイコ (撮影/張溢文)
中村メイコ (撮影/張溢文)

 子役として1930年代から活躍し、1957年に作曲家、神津善行さんと結婚した中村メイコさん。作家・林真理子さんとの対談で、最近の夫婦二人での暮らしを明かし…。

【林真理子さんとのツーショット写真はこちら】

黒柳徹子から「胆石? 私にちょうだい」と言われ…中村メイコの思い出話】より続く

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林:メイコさんは「七色の声」と言われて、私、子どものころ「パパ行ってらっしゃい」(朝のラジオドラマ)を聴いてました。小沢昭一さんがパパで、メイコさんはママとか子どもとかいろんな声を一人でなさって。

中村:7役ぐらいやってました。

林:少し大人になって、今度は「私のロストラブ」っていう深夜番組を、ドキドキしながら親に隠れて聴いてました。初体験をすませた女性に、「それで?」とか「どんな気持ちだったの?」とか穏やかにやさしく聞くんですよね。結婚前にそういうことをしちゃいけない時代で、あれはラジオ史に残るいい番組だったなと思って。

中村:いい番組でしたね。

林:私、びっくりしたんですけど、仕事に疲れて海に入って死のうと思ったこともあるんですって?

中村:はい。19歳ぐらいだったかな。テレビが出始めのころは4、5日寝ないなんてザラでね。疲れて何もかもイヤになっちゃって、「もう死んじゃいたい」と思って、湘南の海へ入っていったの。でも、そこからが喜劇なんですよ。私、泳ぎがうまいもんで、いくら死のうと思っても溺れないの(笑)。それで疲れ果てて、波打ちぎわで寝ちゃったんです。

林:そのあと、神津さんに連絡したんだとか。

中村:海から出てきたはいいけど、誰に連絡しても大騒ぎになっちゃうから、どうしよう、と思ったんですよ。そうしたら、そのとき着ていた紺のブレザーのポケットに、たまたま「僕の連絡先はここです」って書いた名刺みたいなものが入っていて。

林:やっぱり結ばれる運命にあったんですね。神津さんが飛んできて、みんなに知られないようにテキパキと処理してくれて、それで結婚ってことになったんですね。

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