垣根涼介(かきね・りょうすけ)/1966年、長崎県諫早市生まれ。2003年の『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞。05年の『君たちに明日はない』で山本周五郎賞。他の作品に『信長の原理』『室町無頼』など (撮影/写真部・加藤夏子)
垣根涼介(かきね・りょうすけ)/1966年、長崎県諫早市生まれ。2003年の『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞。05年の『君たちに明日はない』で山本周五郎賞。他の作品に『信長の原理』『室町無頼』など (撮影/写真部・加藤夏子)
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 備前の戦国大名、宇喜多直家の生涯を描いた本誌の連載小説『涅槃』が、900ページを超える上下巻の長編(垣根涼介著、朝日新聞出版 上・下 各1980円※税込み)として出版された。

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「直家はずっと悪く言われっぱなしで気の毒だったんですよ。僕が調べたところ、そんなに悪いことはしていない。宇喜多家が滅んで、かばってくれる人間がいないから、せめて僕ぐらいは味方して、史料に基づいて書こうと思いました」


 敵の武将を鉄砲で撃ち殺し、織田家と毛利家を天秤にかけたことから悪評がたったが、むしろ織田信長や武田信玄のほうが悪行は目立つと垣根涼介さんは言う。


 直家は6歳のときに家が滅んだため、武士には珍しく商家と尼寺で育った。宇喜多家を再興したものの、戦は好きではなかったらしく、初期を除くとほとんど戦場に出ていない。その代わり、商人的な戦略には長けていた。金銭面では農作物の収入だけではなく、水運料や物品税を徴収した。


「直家が大叔父と4年間、戦い続けて勝ったのは安定収入があったからです。戦は勇ましさではなく最後には資金力のある人が勝つ。戦費が調達できないと動けませんから」


 直家には商人に対する差別意識がなく、商家からも有能な人を取り立てた。その中には後の小西行長もいる。さらに商人と共に城下町を築いた。現在は岡山市の繁華街になっている。


 戦国武将ものの歴史小説というと、のし上がっていく武勇伝の印象が強いが、垣根さんは現代人が共感できる悩みを描こうとした。女性との交わりや妻との関係にも十分な紙幅を割いている。物語の後半、直家は毛利と織田に挟まれて身動きが取れなくなる。


「直家はせいぜい50万石になるくらいで、それ以上の規模拡大は望みませんでした。その中でやる気を失わずに生きていくのはすごく難しい。最後は負けるにしても交渉して、よりよき条件で降伏する。弱者のタクティクス(戦術)ですね」


 その生き方は今の日本にも通じるという。

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