写真家・蔵真墨さんの作品展「香港 ひざし まなざし」が10月7日から東京・目黒のコミュニケーションギャラリー ふげん社で開催される。蔵さんに聞いた。
* * *
作品は香港の人々の何げない日常をとらえた静かな写真。しかし、それをめくるうちに腹の底が絞めつけられるような重苦しさを感じた。
蔵さんが最初に香港を撮影したのは2012年。そして19年暮れに再びこの街を訪れた。
「この二つの年代の写真は、いっしょに並べられないくらい街の空気感がぜんぜん違う。時代が10年もたたないうちに変わった」
12年の写真に写るのは香港一の繁華街、尖沙咀(チムサーチョイ)。地下鉄の出入り口でたたずむモスレムの少年たち。となりの九龍公園では木漏れ日の下でおばあさんが太極拳を楽しんでいる。ゆったりとしたおだやかな表情。南国の都市の気持ちのいい空気が伝わってくる。「気候や風土が人の性格をつくる、というか。みんな忙しいなりに、そのときの時間を楽しんでいる」。香港島のビクトリア公園でラフな格好でくつろぐフィリピン人女性たちの姿も印象的だ。
ところが、19年暮れから年明けにかけて写した写真には緊張感が漂う。尖沙咀の路上でたばこに火をつける青年。その背景の壁にスプレーで書かれた文字。ビクトリア公園に近い銅鑼湾(コーズウェイベイ)の交差点を行きかう人々。摩天楼(まてんろう)を見下ろす古い墓標。路上にあった何かを塗りつぶした跡。
■まだ約束の50年はたっていない
19年、香港は大きく揺れた。6月、香港島の大通りはものすごい数の群集で埋め尽くされた。犯罪容疑者を中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」改正案反対のデモが膨れ上がった。
その後、デモは急速に先鋭化。警察と対立して流血の惨事に。学生たちは大学内に立てこもり、籠城戦(ろうじょうせん)となった。しかし11月、香港理工大学の学生らが投降したのを境に抗議活動は急速に下火となっていった。
蔵さんは12年に撮影した写真を見ながら、「いわゆる、いい時代の香港」と、懐かしむ。