
「銀行の担当者にも“新しい店を出すために貸してるんじゃないです”と言われたけど、借金を返すためには、利益率のいい仕事を作らないと返済できないでしょ。いま世の中は不景気で、銀行はお金を借りてくれる人を探している。オリンピックが終わって、東京は家賃や工事費も下がっているし、人手も余ってる。出店するにはいい条件が揃ってるんです。コロナが収まったらすぐに回収するための準備をしているだけで、自分は当たり前のことをやってるんだけど、“こんな時期に新しい店を出すなんて正気じゃない”って散々言われた。わかってないよね、みんな(笑)」
■みんな不安な時期。だからこそ、正社員にした
新店舗の出店によって、社員も増やした。店舗のスタッフだけではなく、ライブハウスに外部業者として関わっていた音響スタッフも正社員として迎え入れるなど、コロナ禍になってから30人以上の正社員を雇ったという。
「ライブハウスに出入りしてた音響やPAのスタッフに“仕事がなくなったので、社員にしてくれませんか?”と言われたら、断れないですよ。飲食店のスタッフもそうですけど、いちばんのストレスは、社員が辞めちゃうこと。女性にフラれたときと同じで、“俺より魅力的な人がいたんだな”って、やるせなくなっちゃうから(笑)」
要するに大谷氏はイケイケで向こう見ずな経営者ではなく、“自分を頼ってくれる人の面倒を見るためには、どうすればいいか?”という基準で動いているのだ。とにかく人に優しい。というか、好きな人や仲間が離れていくことに耐えられないのだろう。
大谷氏がイベント&プロデュースの会社を立ち上げ、“社長”になったのは1991年。イベントの失敗で数百万の借金を背負い、住む家を失うほどの痛手を負うも、デザイン、編集、CD音源の制作などで立て直し、95年に現在のLD&Kに社名を変更。ガガガSP、かりゆし58などを売り出し、レーベルとして軌道に乗ると、2001年からは飲食業に進出。渋谷を中心に個性的なカフェを次々と出店し、“渋谷の黒豹”と呼ばれる名物経営者として知られるようになった。
その経営方針は、「他人に人生を決められるようなことは許せない」「好きなことをやって生きていたい」だという。驚くほど率直で、まともな大人なら「甘えてる」と眉をひそめる言葉だが、大谷氏はこの2つの指針を曲げることなく、30年間も社長業を続けてきたのだ。