
「大学に入ってまず気づいたのが私は凡庸だなって。何を専攻しようかと考えたときに、教養は楽しくて学ぶんですけども、自分は演繹(えんえき)的にものを考える頭脳が足りないと思って。帰納的にしか考えられない」
膳場さんの話すことは文章になっても読み応えがある。やっぱりジャーナリストなんだなあと思う。読んできている量が違う。私は無知で聞く。「演繹的って、なに?」
「こうだからこうに違いないって理屈を展開していくこと。帰納法は複数の事例から結論を導いていく。私は形あるもの、実体あるものから帰納的に考えることは得意だけど、演繹的に考えるのがヘタクソで」
たまたま彼女が学生時代に、当時、薬害問題の対立関係にあった双方を実際に見たことで、報道に興味を持ったというのも、これまた膳場さんらしい。まじめな探究心に基づく正義感なのだ。どちらが正しいではなく物事には両面があり、いろんな真実があることをきちんと伝えるべきという正義。
そんな彼女に休日の過ごし方を聞いたら、「ぐーぐー寝ている」と言われ、安心した。
印象的だったのは、大学時代が楽しかったかと聞いたら、「楽しかった。いろんな授業があるじゃないですか。教養課程とか、もうキャッハーみたいな」と。感性を刺激されますよね、じゃなく、キャッハーと表現する、その軽やかさ。いろんな社会の理不尽もあるだろうが、彼女は、だいたい、キャッハーと乗り越えてきたのかなと思った。私にない爽快さ。もし同じ教室で共に学んでいたら、私は大いに影響を受けただろう。でもこれからでも遅くない?
※AERA 2022年11月21日号