
作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。7人目のゲスト、キャスターの膳場貴子さんとの対談を振り返ります。
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膳場さんは、素敵だなあと思う人だった。どこら辺がかというと、まじめなところ。それがとても可愛くチャーミングなのがおもしろい。
大学の同窓会という連載だからと、大学時代の成績表を持ってきてくれた。私などとうに紛失している。話がきっと弾むという心遣いが可愛い。また、わざとカジュアルな服を着てきてくれたのもみんながアッとなった。「仕事っぽく会いたくなかったから」。またキュンとくる。いい時間にしたいなと思ってくれたんだなぁとまたキュン。
持ってきてくれた成績表を見たら、ヘブライ語を選択していた。「あと、古代ギリシャ語とかも取ってた。ザ・教養の大海原じゃないですか」。確かにそうだ。あんな環境ない。東大の駒場時代はいろんな学問が自由に学べる。けれど私はその大海原を航海せず、浜に打ち上げられていじけて海をみていた。波に乗れなかった。今もそう。好奇心がそんなにない。「私、社会人になってからも、東大の教養学部に聴講生とかで行っちゃったもん」。そんな膳場さんが今もまぶしい。海の上から、「こっちだよぉ~」と手を振ってくれているよう。このいつまでも女子大生のような目の輝きと知的好奇心が泉みたいに湧き出てるのが膳場さんなんだ。
「私、マニアックなものが好きという傾向があって。東大でも文IIIとか医学部健康科学・看護学科とかね」
自己分析が彼女の面白みでもある。よく見ている、人も自分自身も。
「東大って『ザ・中枢』じゃないですか。ザ・中枢の人々をまぶしいなと思いながらも、私は一歩身を引いて、中枢ではあっても周縁に徹するぞというのがありました」
人はなかなか自分の置き所がわからず、ないものねだりをする。自己分析もできずに気づかないふりをして無茶をするけど膳場さんは違う。