WYUA初代代表・玉元三奈美さんはボリビア沖縄県系人・安里直也さんと結婚、一家4人で本大会閉会式に出た(撮影/三山喬)

■エイサーが沖縄知る扉

 テルヤさんは言う。

「祖父はポルトガル語があまりできず、祖母は小さいときブラジルに移住して沖縄の記憶がほとんどなかったから、家庭では沖縄の話をあまり聞けなかった。だからエイサーが、沖縄文化を知る扉になったのです」

 若者大会最終日には、研修生や留学生など県系の沖縄在住者と沖縄地元勢が対面するスポーツ行事があり、ペルーから三線修理を学びに来た3世のセサル・ヤマグチさん(34)もこれに参加した。

 9年前、与那原町の研修生として来県する機会を得て、ペルーに帰国後も三線を学ぶようになったという。彼もまた文化活動からウチナーンチュ意識を強めた人だった。

 WYUA代表の比嘉千穂さん(32)は組織でただひとり、結成時からのメンバーだ。

「海外での文化の継承には難しい面もありますが、最近は情報をとる手段がいろいろ増え、個人レベルでアイデンティティーを持つようになった人もいます。コロナ禍でリアルの交流が難しくなったことがプラスに働いて、海外の若者ウチナーンチュ同士、オンラインのつながりがいくつかできたとも聞いています」

 彼女は、同時にまた、ウチナーンチュ大会が沖縄の若者に与える刺激にも期待する。沖縄を離れずに過ごす日常生活では、改めてアイデンティティーを考える機会がほとんどないからだ。

■留学中シンカに救われ

 昨春大学を卒業し、WYUAの専従職員になった金城しずくさん(24)も「同世代の友人には、こういった話題に無関心な人も実は多い」と同意する。

 彼女自身はハワイでの留学中ホームシックになり、ショッピングセンターに居合わせた県系の“おじさん3人組”に相談したところ、そのひとりの娘が立ち上げた県系の若者親睦会「シンカ(沖縄方言で『仲間』の意)」を紹介され、救われた経験から、進路を決めたという。

「だから沖縄の人たちは、海外ウチナーンチュと実際に会い、関わることが大事だと思います。私だって昔はウチナーンチュ大会をひとごとと思っていましたけど、実際に参加すれば、きっと感動しますから」

 出会いが感動を呼び、感動が沖縄愛になる。他県にないルーツ県としての温かみがあればこそ、沖縄県系の人々の連帯は際立ち、続いているのだろう。(ジャーナリスト・三山喬)

AERA 2022年11月21日号

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