NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公で「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。渋沢家五代目の渋沢健氏が衝撃を受けたご先祖様の言葉、代々伝わる家訓を綴ります。
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50年近く継続している老舗の某勉強会に「人新世の『資本論』」の著者の斎藤幸平さんをお招きしました。「SDGsは『大衆のアヘン』」であり、「脱成長」を提唱している若手論客です。
昭和時代に同会が発足したときの当初のメンバーで「成長」について疑問を持つのは誰一人もいなかったでしょう。しかし、現在では「成長」を否定されると経済人の常識が覆されてしまうものの、真の成長とは何であろうと真摯に考えさせられたメンバーが多かったと思います。
確かに、SDGsが「大衆のアヘン」であれば、地球にとって人類は「がん細胞」かもしれません。悪意がある訳ではありませんが、他の細胞の存在に関わらず、成長の歯止めがかからないのが、がん細胞です。自分の成長の暴走を止めることなく、最終的にはホストが滅びてしまいます。
一方で、全体の「成長」を否定して固定してしまうと、その中にいる個々が弱肉強食的に奪い合いを始めるのではないでしょうか。また、宇宙の物理的原理にエントロピーがあり、拡大・膨張(=成長)を抑え込むことはそもそも不可能なのかもしれません。
ただ、その「成長」とは何なのか。「新しい資本主義」を実現させるためには、求めている「成長」の定義を整理する必要がありそうです。
人間は、最も簡単な答えを求める傾向があります。多方な表現で「成長」を示すより、GDPという数字にすれば可視化しやすく、多国間の比較も安易です。ただ、GDPの成長を求めることに、「豊かさ」があるのか。これが斎藤幸平氏の問題提起であるようです。
◆利殖を求めない企業は存在意義なし
「日本資本主義の父」と云われる渋沢栄一が活躍して多くの功績を残した時代には、経済社会の成長による「気候変動」や「生態系破壊」のリスクが認知されていませんでした。一方で、GDPという成長の尺度があった訳でもありません。栄一は、より良い日本社会を目指していて、そのためには官に過剰に頼らない民間による経済力の向上が不可欠であると考えました。