13年12月、宮内庁鴨場(かもば)での外交団接待で紀子さまとカモを放つ眞子さま (c)朝日新聞社
13年12月、宮内庁鴨場(かもば)での外交団接待で紀子さまとカモを放つ眞子さま (c)朝日新聞社

 眞子さまにとって初の海外公式訪問は15年、エルサルバドル、ホンジュラス。16年がパラグアイで、18年がブラジルだった。遠い中南米だが、眞子さまは行く先々和服に着替え、お言葉を述べた。16年の歌会始(お題は「人」)で詠んだ「広がりし苔の緑のやはらかく人々のこめし思ひ伝はる」は、石川県小松市「苔の里」で歌碑になっている。15年の訪問での思い出を詠んだもので、内親王の歌碑は珍しいという。

 などなど、眞子さまはエピソードも真面目で優等生なものが並ぶ。だから19年7月、女性週刊誌のグラビアで眞子さまの写真を見た時は、しみじみとした感情に見舞われた。

「勤め帰り」の眞子さまだった。非常勤の特任研究員として勤める東京大学総合研究博物館を出て、迎えの車に乗ろうとする眞子さまは、薄いピンクのニットに明るい紺色の花柄のスカートを着て、メガネをかけていた。この写真で、公務の時の眞子さまはコンタクトレンズをしているのだと想像した。次に「コンタクトレンズ時々メガネ」は、「視力の良くない女子あるある」だと思った。そして、「眞子さまにも“普通”があるのだな」としみじみとしたのだ。

 26日の記者会見の行方を前出の志賀さんは案じている。紀子さまもきっと心配だろうと想像している。何とか乗り越え、穏やかな日々が眞子さま、そして紀子さまに来ることを願っている。(コラムニスト・矢部万紀子

AERA 2021年11月1日号の特集「眞子さま結婚 批判の深層」より抜粋

※敬称は取材時のものです

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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