人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、今月亡くなった10代目柳家小三治師匠について。

下重暁子・作家
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 小三治師匠が亡くなった。食事をし、外出から帰って、家人も気付かぬうちにひっそり息を引き取っていた。日常に組みこまれたさり気ない死。いかにも小三治師匠らしい大往生だ。

 私は東京やなぎ句会に何度もゲストとして参加し、句友でもあった。俳号は土茶(どさ)。私はなぜか師匠の句を「天」(最上の評価)にすることが多かった。師匠もまた、私の句をたびたび天に抜いてくれた。

 この句会は、天・地・人と自分が選んだ句には、何か賞品をもっていく。土茶さんにいただいたものでは、手作りの黒いこうもり傘。江戸職人の流れを汲む頑丈で大きなもので、どんな嵐にも耐えられそうだ。

 私はシャイで優しい小三治さんが大好きだった。若い頃はオートバイやオーディオに凝り、高田馬場の線路脇のご自宅にインタビューに伺うと、玄関でナナハンが出迎えてくれた。

 音楽、特にクラシックに詳しく、歌のリサイタルを開いたことも。途中、幼い頃の想い出を語り歌いはじめると、目に涙があった。感受性の強い人で神経質でもあり、常に多くの薬を持ち歩いていた。決して健康とはいえなかったが、体の声を聞いて折り合いをつけていた。おしゃれでどこかに本藍が一色入っていた。

 お酒は飲めないので、岩波書店の応接室で句会が終わると、夜風に吹かれてインバネスのような外套を羽おった師匠を囲んで歩く。イキだった。

 そういえば、小三治のマクラ全集が出ているほど、高座のマクラは面白く、政治、社会の話にも言いしれぬ趣があった。マクラだけで終わりそうになると、次の演題はきりっとマクラなしでまとまって、その緩急のつけ方の妙。高座は人気でなかなか券がとれなかった。

 晩年、落語協会の会長もつとめ人間国宝になったが、若い頃から小さん一門では談志と並び称される存在だった。談志が破門され、立川流を作り弟子を増やしていったのに比べ、小三治さんにはいつも独りの影があり、そこに惹かれた。

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