「テクニックやキャリアより、思想というか思いがアマチュアなの。何かが終わるとすぐ、『次に何か面白いものない?』ってなっちゃうから。『信虎』のパート2をやりませんかと聞かれても、同じことするぐらいなら、何か他のことをしたいと思う。若い頃からそうでしたね」
寺田さんの終生の師匠は、付き人を務めたこともある三木のり平さんである。のり平さんの脚本を書いていた小野田勇さんはたいそう遅筆で、当日にならないと脚本ができないことはしょっちゅうだった。
「俺は、稽古とかリハーサルが嫌いなんです。森光子さんの『放浪記』も、のり平さんが演出だったから4カ月興行に2回出演したことがあったんだけど、のり平先生も稽古が嫌いなのに、森さんは好きでさ。俺は、セリフを覚えると飽きちゃう。覚えたあとは段取りだけになっちゃうから、新鮮じゃなくなるのが嫌なんです。『のり平劇団』では、いきなりぶっつけで何十年もやってきた。今でもリハーサルは嫌い。テストも嫌い。元気があるから最初が一番!」
飽き性なのは子供の頃からだ。父親が画家だったせいか、寺田家は自由放任主義。その父は11人兄弟でいとこは24人いたが、農少年を除く23人が女性だった。
「『一族でたった一人の男の子だったから、蝶よ花よと育てられてこんなになっちゃった』と母親がよく嘆いていた(笑)。自分でも、性格に欠陥があるんじゃないかと思うほど、物事を深く考えるのが苦手です。どっかで冷めちゃう。嫌いな言葉は、努力と忍耐。歯を食いしばるとか、性に合わない。サラッといきたいんですよ、すべてに」
自分にとって何が心地いいかを把握しているだけで、人のやり方を否定しているわけではない。子供の頃から好奇心旺盛な寺田さんは、新鮮さとか驚きが仕事をする上での一番の楽しみなのだ。
「芝居だって、人間が生きているそのスピードの中で生まれるもの。だから、毎回何が出てくるかわからないことが面白い。ソーマイとは、だからそこが一番合った」