林:ええ。
都倉:そこがちょうど、赤坂プリンスホテル旧館の1階にあったバーだったんで、「そんなつまんない名前全部やめて、ピンク・レディー(カクテルの名前)でいいんじゃない?」って(笑)。
林:それでピンク・レディーになったんですか。
都倉:そう。マンハッタンでもよかったんだけど(笑)。
林:いいですよね。ものづくりの人間として、世の中をあれだけ狂気に陥れるって気分いいでしょうね。
都倉:ハハハハ、狂気ね(笑)。
林:印税もすごかったでしょう? そのお金、銀座で使っちゃいました?
都倉:アハハハ。僕は大学生のときに「あなたの心に」という……。
林:はい、中山千夏さんの「♪あなたの心に……」という。
都倉:そうです。初めてヒットしたんだけど、「印税って入ってくるものなんだな」と思ってうれしかったですよ。
林:学生さんにはとんでもない額ですよね。
都倉:はい。当時、ボンドカーといって、トヨタ2000GTというスポーツカーがあったんです。ジェームズ・ボンドが映画の中で乗ったやつ。これが欲しくてね。でも、一ケタ違ったんで、日産のフェアレディZを買ったんです。その真っ赤なフェアレディZに乗って学校に通いました(笑)。
林:カッコいい! ところで、阿久さんと最初にお会いになったのはいつなんですか。
都倉:僕がまだ大学生のときですね。阿久さんと仕事をさせたいというプロデューサーがいて、湯河原の小さな家で1週間合宿して、二人で20曲ぐらい書いたんです。でも、阿久さんにとって僕は宇宙人だったと思う。外国から帰ってきたばかりだったし、年はひと回り違うし。
林:ひと回り年下の帰国子女と、淡路島から出てきた苦労人。カルチャーがまったく違いますよね。
都倉:でも、あんなにツーカーの人って、僕、あれ以降めぐりあってないですね。そうそう、阿久さん、本当は作家になりたかったんですよね。
林:前に阿久さんにここに出ていただいたとき、彼は「直木賞をとってないってことは、免許証をとらずに車を運転してるような気がする」とおっしゃって。それで私、「何をおっしゃってるんですか。直木賞をとった人なんていっぱいいるけど、阿久悠はたった一人ですよ」と申し上げたんです。