
林:でも、ビートルズもお好きだったんでしょう?
都倉:はい。当時はビートルズとローリング・ストーンズの全盛でした。ドイツだからイギリスと近いじゃないですか。ザ・フーなんかはまだまだ若いバンドで、そういうのと一緒に育ったみたいなところがあって、遺伝子は日本人なんだけど、僕がつくってる曲とかリズム感とか、ハーモニクス(和音)がちょっとほかの人と違うって、昔からよく言われてたんです。ドイツにいたときの経験から、僕の音楽マインドができたんじゃないかと思いますね。
林:もちろんピアノもずっと……。
都倉:僕、バイオリンなんです。4歳からやっていて、母親なんか「この子、天才じゃないかしら」と言っていたのに、ドイツに行ったらふつうの子になっちゃった(笑)。やっぱりそのぐらい差があるんですよ。
林:この前、「題名のない音楽会」で日本の名曲を、ベートーベン風とかモーツァルト風とかに編曲してオーケストラが演奏しているのを見たんですけど、都倉さんが作曲したピンク・レディーの曲をドビュッシー風に編曲してオーケストラで演奏したら、管弦楽と非常に合って素晴らしかったです。都倉さんみたいにクラシック畑の方が作曲したものは、編曲してもちゃんとメロディーが乗るんですね。
都倉:ああ、そうかもしれない。
林:でも、どうしてクラシックのほうに行かなかったんですか。
都倉:うちは非常にカタい家だったんで、音楽の道に進むというよりも、とりあえず日本に帰って法律を学ぼう、という考えで。それで学習院大学に行きました。
林:都倉さんはあの伝説の「スター誕生!」で阿久悠さんとコンビを組んでピンク・レディーをつくったわけですけど、「ピンク・レディー」という名前をつけたのも都倉さんなんですって?
都倉:はい、そうですね。最初のレコード発売前に、彼女たちのマネジャーが「名前が決まらない」って言ってきたんですよ。早く決めないとレコードのジャケットに名前を刷り込めないと言って、レコード会社がつくった候補のリストを見せるんです。見たら「白い風船」とかいろいろ書いてあって。