「大好きなものでいっぱいのママになりました!」という章のくだりはこんな具合だ。
幼稚園に通う息子と風呂に入っていた。仕事がうまくいかない彼女は「不覚にも湯船に浸(つ)かり泣いてしまった」。ごまかそうと顔を洗っていると、息子が「ママの好きなものを十個言って」と言う。「お花、お月さま、猫、イルカ……」と並べあげるたび息子は一言ずつ柄杓(ひしゃく)で水を洗面器に注ぎ、「目を瞑(つぶ)るように私を促すと、洗面器のその水を、頭からザブンと私にかけ、満面の笑みで『はい! 大好きなものでいっぱいのママになりました!』」
その頃のともは「演じる」ことでとても大きなものを背負っていたのだろう。僕は、彼女が流した涙に、「『北の国から』が重くなる」の一言を思い出した。
中学に上がった息子に触れた別の章で、彼が「人には期待しない」という理由を、「その人は、その人のままでいいと思うからだよ。そこから何か出来るかを考える、それだけだよ」と息子自身の言葉で紹介し、「それ以来、親という看板を、私は外している」と結んでいる。
息子の言葉に頷いたともは「それまでの看板」を外し、「自分のままでいよう」と決めたのだ。
日本ハムファイターズ始球式での、とびきりの笑顔を送ってきたわけがわかった気がした。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
※週刊朝日 2021年11月12日号