生まれた日の写真が2枚しかないこと、自分のすねが母親の人差し指と同じ太さだったこと、初めて両親に抱っこされたのは生後1カ月以上経った頃だったこと。

■次女は笑顔だった

 次女の視点で書かれた私の出産話は、とても新鮮な内容でした。

「ゆうのことを書くか迷ったけど、自己紹介の時に双子なんだって言っちゃった人もいるし、小学校からの子はみんな知ってるから書いた。それにきっと、みんなには別の世界の話すぎてよくわからないままサラッと終わる気がするから、まぁいいや。ね~ゆうちゃ~ん、かわいいんだもんね~」

 そう言いながら、次女は長女が寝ているマットの横に行くと、長女のおでこを撫でていました。次女の心境の変化の裏には、友人たちの存在もあったようです。

 幼稚園から一貫校で育っている彼女には、家族ぐるみで付き合いのある家庭も多く、長女に会ったことのある友人もたくさんいます。でも、我が家の家族構成を誰も噂にせず、次女が中学で新しく知り合った友人たちに『姉』のことを聞かれて返答に困った時には、さりげなく話題を変えて助けてくれたそうです。

 次女はレポートを書きながら、もしかしたら今のクラスメイトも、これまでの友人たちと同様に自然に受け止めてくれるかもしれないと思ったとのことでした。

「〇〇ちゃんたちだって初めはゆうのことを知らなかったのに、今ではぴぴは双子でゆうはゆう…は当たり前でしょ? 別に嫌なことを言いふらされたこともないし。だから、みんな同じ感じになる気がするんだよね」

 この話をしている間、次女は一度も暗い顔をすることはなく、ずっと笑顔だったのが印象的でした。小柄で臆病で人見知りだった次女が、自分の力で乗り越えて大人になったのだと思いました。

■きょうだい児への理解深める

 一般的な中学生が『障害』について知識がないのは当然であり、その中で生活している次女が、とっさに姉や弟に障害があることを隠したくなる気持ちも理解できます。

 でも、もしも社会全体が障害という言葉を『苦しくて悲しいこと』という暗いイメージではなく、単純に『物理的に不自由』と捉えることができれば、もっと自然に生活できるのではないでしょうか?

 きょうだい児はどの学校のどのクラスにいても不思議ではありません。

 でも、恐らく、そのメンタルケアについて熟知している先生は、日本ではまだごくわずかだと思います。きょうだい児について、学校の先生方の理解を深めることは、急務の課題であると感じています。

〇江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ

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