ただ、最近は、欲が過剰でとどまることを知らないようね。例えば、子どもを産むことについても、卵子凍結、精子提供など、とにかく何でも技術を使って目的を達しようとしている。若くきれいになりたいという欲も、整形技術を使えばいくらでもかなえられちゃう。昔だったら、整形をしたところで失敗して後悔もしたけれど、今では技術が進んで完璧にでき上がるから、後悔も生まれない。そうやって、欲がコントロールできないところまで膨らんでいるんじゃないかしら。

 その最たるものが、原発。人間は何でもできるという思い上がりがある。原発があるのも、より良い暮らしやより便利な社会を手に入れたいという欲の結果。だけれど、これだけの事故が起こって、これだけの被害が出ているという事実があるのだから、目をそらしちゃいけない。原発には絶対に反対。再稼働なんてもってのほか。捨てるべきは原発で、原発事故で困っている人たちのことを絶対に忘れてはいけません。

 過剰な欲はなぜ生まれるのかしら。

 それは、その欲が、本当に自分がほしいものではなく、他人の目や流行を気にした結果だからね。洋服一つをとっても、本当に自分に似合うものはこの1枚なのに、流行がコロコロ変わるからそれに合わせるたびに増える。結婚相手を選ぶときも、自分が好きな人はこの人のはずなのに、世間的に言えばこんな要素があったほうが聞こえがいいと、会社名や学歴まで気にする。自分が満足したらそれでいいはずなのに、他人の目が入ってくるから欲にきりがなくなる。

 人間は自分が本当にほしいものだけではなく、他人の目を気にして過剰に手に入れないと気が済まない。でも、そういう過剰なものは、手に入れるときの欲だけ満たされれば、持っていてもしかたなくなって、すぐに飽きて捨てたくなる。自分がほしくて仕方なくて買った洋服なら、ほつれを直してでも大事に大事に長く着ようとする。たとえ着られなくなっても、捨てるのではなくて、だれかにあげてでも生かしたいと思うもの。でも、流行に流されて買った服なら、流行が終わればすぐに捨てたくなる。

 流行や周囲の目ほどいい加減なものはないでしょ。すぐに変わる。だから、捨てたくなかったら、自分の好みだけを厳選して手に入れること。それはモノでも人間関係でもみな同じです。

次のページ
「捨てて」後悔してきたもの