最近は、インターネットや携帯電話があるから、いろんな情報が入ってくるようになって、ますます他人の目が気になる。あんなものがあるから悪い、と批判する年配者もいるけれど、それは使いこなせない人のヒガミ。技術の発達や発展を悪く言うことはできません。

 きっと10年後には、今では思いもつかないようなものや新しい技術ができているでしょう。それだけ、欲望を掻き立てられる状況や選択肢が増えている。だから、他人に流されない、自分の好みを強く持つことが大事でしょう。それが、欲を適度にコントロールし、捨てるものを過剰に増やさない秘訣じゃないかしらね。

 私がこれまで生きてきて「捨てて」後悔してきたのは、子ども。私はもともと、お手本のようないい嫁だった。だけれど25歳の時、3歳の娘と夫を置いて、家を出た。小説を書きたい、才能を生かしたい、無知な女のままでいたくない。そういう一心で、不倫相手のもとに向かった。

 男と女の間のことは五分五分だからどちらが悪いということはないけれど、無力で非力な子どもを捨てることはやってはいけない。当時も本当は連れて行きたかったけれど、女が一人で食べさせることはあの時代にできなかった。父親のもとにおいておけば、娘が食うに困ることはないと考えてのことだったけど、いまでも後悔は尽きない。

 そして51歳の時に出家。あの時が人生最大の捨てることだった。当時、私は流行作家で、寝る間もなく売れる小説を書いていた。私の書きたかったものはこれなのか、求められる売れる小説を書くことがしたかったのか、疑問がわいたのね。だから、自分が納得する小説を書くために、小説のバックボーンになるような思想を身につけるために出家した。家財道具も何もかもいっさい捨てて。

 捨てることは、手に入れることよりもエネルギーがいる。世間の批判に遭うかもしれない。それに、新しい靴がなければ、裸足で歩くことになるから。捨てるとは、それも覚悟の上で、いてもたってもいられなくなって起こるもの。そういうことじゃないかしら。

○せとうち・じゃくちょう/1922年、徳島市生まれ。作家、僧侶。『夏の終り』で女流文学賞、『花に問え』で谷崎潤一郎賞など著書多数。73年に天台宗東北大本山の中尊寺で得度。2006年に文化勲章

※AERA 2014年3月31日掲載