東儀秀樹さん (撮影/小原雄輝)
東儀秀樹さん (撮影/小原雄輝)
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「これでビートルズを吹けたら素敵だろうな」

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 今や雅楽師として幅広く活躍する東儀秀樹さんは、18歳で初めて篳篥(ひちりき)を習ったとき、そう直感した。

 商社マンの父を持つ東儀さんは、タイとメキシコで幼少期を過ごし、洋楽に夢中になった。

「中学・高校とエレキギターばっかり弾いていましたね。その一方で、海外にいると、自分が日本人だということが浮き彫りになることに、気持ちのいい使命感のようなものは感じていた。外国人が日本に興味を持って質問してきたときに、彼らは僕を通して日本を感じるわけで、日本に戻ったら、日本の文化をもっと深く知りたいと思っていたんです」

 そんな折、奈良時代から雅楽を世襲してきた東儀家出身の母が、「そんなに音楽に夢中なら、雅楽に目を向ければいいのに」とつぶやいた。

「海外生活を経験し、『日本のことを正確に伝えたい』と思っていた矢先に、それまで全く縁のなかった雅楽という音楽があることに気づいて、素直に、『日本人が日本の文化を背負うのは素敵なことだよな』と。しかも、雅楽を習うからといって、好きなロックを諦める必要もなかったので」

 宮内庁で、篳篥に触れたときは、「ふうん」という感じだった。

「『大変なものにハマってしまった!』でも、『これこそ俺の道だ!』でもなく、『これは別に嫌いじゃない』という程度(笑)。ただ、子供の頃から、だいたいの曲は一回聴いたら、ピアノの伴奏つけて弾けちゃうぐらい音楽は得意でした。音楽のことなら誰にも負けないと自負していて、宮内庁でも、先生からの課題は一回でクリアできた。試験のときも、たいして練習しなくてもいつもトップをキープしていたので、嫌みな生徒だったと思います(笑)」

 そうこうするうちに、ジワジワと雅楽の良さがわかってきた。

「これは、コミュニケーションのいいツールになるなと思いました。というのも、僕は自分が雅楽を演奏するときは、平安時代の貴族の気持ちになりたいと思っていたから、単純に音楽を学ぶだけじゃなく、当時の哲学や王朝美学や宇宙観にも精通したいと考えたんです。それで、源氏物語や陰陽道を学んだり、古文書を読んだりもしました」

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