成幸さんがひきこもりを脱出できたのは、間違いなく今の会社の社長が声をかけてくれたのがきっかけだ。自分から手を伸ばすことはできなくても、差し出された手につかまることはできたのだ。今よりもっと、差し出される手が増えていけば、誰もが生きやすい社会になるのではないだろうか。
◆不登校のきっかけ 15年後の真実
ところで、成幸さんが中学1年生のときに不登校のきっかけになった「バット事件」だが、いったい何が原因だったのか。
質問しようとした私に、成幸さんは自分から話し始めてくれた。
それは英語のテストの最中のクラスメートと教師の会話だった。なかなか鉛筆が進まない成幸さん。その様子を見た教師が、成幸さんの隣に座っていた生徒に、「できないやつは問題も理解できないから、どうしようもないな」と話しかけた。するとその生徒が、「母親がダメだと、子どももダメになる」と、ニヤニヤしながら言ったのだという。
成幸さんは、腸が煮えくり返るほど悔しかった。その場ではぐっと抑えたが、時間がたつほどにだんだん怒りが募ってきた。
「学校にバットを持って行ったのは、そいつを殴ろうと思ったからです」
自分のことはまだしも、母親のことを悪く言われたのが我慢できなかったのだ。友達も、教師の顔も二度と見たくないと思い、心を閉ざした。
父親に殴られても口にしなかった本当の理由を、15年以上たった今、ようやく話すことができた。それは、成幸さんの心の成長を表しているような気がした。
後日、私は成幸さんの母親にその話をした。母親は、「そうですか」と納得した表情で、驚いた様子はなかった。
「あの子は、家族の中でいちばんやさしいんですよ」
成幸さんは今の仕事を始めて、毎月、給料の中から3万円を家に入れてくれるようになった。母の日には、カーネーションのフラワーアレンジメントをプレゼントしてくれたという。といっても自分で思いついたわけではない。社長に、「隣町のこの店に行って、こういうのを買いなさい」と言われ、そのとおりに買ってきたのだ。
父親とは、晩酌を楽しむようになった。ときには昔話をして一緒に笑うこともある。今ではきょうだいたちとの仲もよく、久しぶりに皆そろっての家族旅行も実現した。
母親は言う。
「一番つらい時期は乗り越えたんだから、きついだろうけど、一歩一歩頑張っていってほしいです。成幸にとって楽しい青春ではなかったでしょうが、長い人生においてはいい経験をしたと思いますよ。本人はそう思ってないかもしれないけど、いつか気づくんじゃないですかね」
(取材・文/臼井美伸)
■臼井美伸(うすい・みのぶ)/1965年長崎県佐世保市出身、鳥栖市在住。出版社にて生活情報誌の編集を経験したのち、独立。実用書の編集や執筆を手掛けるかたわら、ライフワークとして、家族関係や女性の生き方についての取材を続けている。ペンギン企画室代表。http://40s-style-magazine.com
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