「内心では不安でしたよ。自分たちが生きている間はいいけれど、ずっとこのままだったらどうしようって。でも、怒る人が家の中に二人もいてもしょうがないし、なるようになるかなって。とにかくあまりにも毎日忙しくて、考える余裕がなかったんです」

 と笑う。いちばんきつかった頃は、成幸さん以外にも小学生から高校生まで3人の子育てをしていて、同居する夫の親の世話もあった。朝起きるとご飯を5合炊いて、家族の弁当をつくり、仕事に出かける。夕方、買い物して帰ると、また5合のご飯を炊いて、食事の支度だ。夫は仕事が忙しいので、料理も、買い物も、家事はほぼひとりで担っていた。

 あまりの重労働に、体調を崩して入院したこともある。

 唯一ひとりになれる時間は、買い物の行き帰りの車の中だ。ときには買い物帰りにちょっと遠回りをして、大好きなB‘sの曲を流しながら大声で歌うのが、ストレス発散になっていたという。自分の母親(成幸さんの祖母)の言葉も、救いになった。「大丈夫、30歳くらいまでに就職できれば、なんとかなるよ」といつも励ましてくれた。

 息子を責めることもなく、ひたすら家族のためにせいいっぱい働き続けてきた。この母親の明るさが、成幸さんを支えていたのではないだろうか。

◆一台の軽トラが止まり、「うちで働いてくれないか」

 いつまでこのような生活が続くのか家族の誰も見通しが立たない中、転機はふいに訪れた。成幸さんが今の仕事に就くきっかけは、偶然だった。

 運動不足で痛風になってしまったため、医師に勧められて散歩をしていたときのことだ。成幸さんの隣に、一台の軽トラが止まった。

「甲斐さんところの息子さんだろ」

 運転席の男性が成幸さんに話しかけてきた。それが、今の清掃会社の社長だった。父親の昔からの知り合いで、成幸さんの事情も知ってくれていた。

「うちには若い人がいないから、探していた。よかったらうちで働いてくれないか」

 成幸さんは、思い切ってそこで働くことにした。

「たまたまそのとき、パソコンが壊れて新しいのが買いたかったので、お金が欲しかったんです」

 それから3年。「朝早い仕事だし、きつい」と母親に愚痴を言うこともあるが、なんとか辞めずに続けることができている。ときには「辞めたい」という息子を、母親はいつも明るく励ます。

「仕事したら、好きなもの買えるでしょ。私だってこの歳でまだ働いてるんだから、あんたも頑張ってよ」

 成幸さんの父親は言う。「今の仕事をするようになってから、息子は明らかに変わりました。笑顔が出るようになったし、体重が、20キロも減ったんですよ。もう、大丈夫だと思います」

 ひきこもり経験者の集まりで話される事例の中で、脱出のきっかけになったのは、「第三者との出会い」と答える人は多いという。

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