この正月明けも、横浜へ帰る「こだま」の中、隣席は二十歳すぎの青年で、オーバーをすっぽりかぶって眠っている、と思いきや、下の方から手が伸びてきて、Yさんの胸に触れた。驚いて払いのけると、こんどは脚にさわる。つねると手を握ってくる。
青年が自分の長男(25)と同年配なので、恥をかかせるに忍びず、
「次の駅で降りるから、その手を放しなさい」
と小声でさとすと、坊やは、
「ぼくも一緒に降りていい?」
Yさんは、青年の手をふりきって下車した。
Yさんは新幹線だけでもてるわけではなく、渋谷のハチ公前で人を待っていると、三十分に三人は声をかけてくる。娘の担任の先生が、出張帰りに、「あなたのために買ってきました」とお土産をくれたことも。
もう、もててもてて本当に困っているのだ。
Yさんのサイズは、上から95・72・95。二十一歳の娘さんとおそろいの洋服を着ても似合い、
「若いころは外人にもてた」
という容姿である。
掲載後大きな反響を呼び、読者から「実は私もMMKおばさんです」という報告が相次ぎ、MMKおばさんはシリーズ化もされた。
森下さんの奮闘にも後押しされ、「デキゴトロジー」はみるみるうちに週刊朝日の看板連載となった。
「週刊朝日を真ん中から開くという読者も当時はたくさんいたそうで、今考えるとすごいことですね」
と、森下さんは当時を振り返る。
「きれいに見せたい欲、大きく見せたい欲のようなものは、それこそ『今昔物語』の昔から、何百年も変わっていません。人間ってそうだよなという、心の中にある下卑た部分、ゲスな部分。そのかわいさやおもしろさは今もやっぱり変わりませんよね」
友人、知人、そして家族。片っ端からおもしろいデキゴトを求めて話を聞きまくり、「それ書いていい?」という日々が続いた。
「家族の場合は、確認せず書いちゃってましたから、発売日に父に『典子、お前!』と何度も怒鳴られたり、弟に『もう犠牲になるのは嫌だ』と涙ぐまれたりもしました(笑)」