しかし、「身近な人」という資源も無限ではない。

「そうなると、自らが体験をしに行くことになるわけなんです」

 芸能リポーターの取材ノウハウを学びに行くなど、さまざまな世界をのぞきに行った。その究極となったのが、<このたび私、ゆえあって祇園から舞妓に出ることとなりました>という挨拶から始まる、森下さんの京都での舞妓体験をもとにした、「艶姿にわか舞妓評判記」である。

「舞妓さんの修業をして、何週間分かネタつくってきてよ」

 という軽いノリで始まった舞妓体験記は大評判となり、87年に「典奴どすえ!」(TBS系)というタイトルで賀来千香子さん主演のドラマ化までされることにもなった。

◆40年たっても変わらぬ本質

 約40年の月日が流れた。デキゴトロジーを卒業後、森下さんはエッセイストとして現在も活躍、40年を振り返る新刊エッセー『青嵐(せいらん)の庭にすわる 「日日是好日」物語』が出版される。

「小説を書かないかと言われたことも何度もありました。だけど、若いころに、『嘘を書いちゃいけない』『本当のことだけを書きなさい』とさんざん言われたからか、フィクションの世界は書けないんですよね(笑)。40年の間、自分の身の回りで自分が経験したことだけを書き続けている。どこかデキゴトロジーを拡大させたものを今も書いているのかもしれませんね(笑)」

 茶道体験をもとに書いた自伝エッセー『日日是好日』は、2018年に黒木華さん主演、樹木希林さん最晩年の出演作として同名映画化され、100万人以上の動員を記録する大ヒット作となった。森下さんは、

「偶然のような話ですけれど、映画化の話をいただく少し前に、数寄屋橋交差点に立って、当時のように上を眺めていたんです」

 と振り返る。

「これからどうやって生きていけばいいんだろうなと思ったあの日から、40年たったんだなって。一度も就職せず、結婚もせず、そのまま還暦を迎えた。もちろん大変なこともありましたし、一人で夜の海を泳いでいるような気持ちになるときもありました。だけど、こうやって40年、書き続けてこられたんだ。そう思ったとき、私、ちゃんと生きてこられたんだ! ここまでおぼれずに泳いでこられたんだ!って、ものすごくホッとして、うれしくなった。そこで自己肯定した瞬間に、景色が一転した気がしました」

 そう感じた直後に、『日日是好日』の映画化の話が舞い込んできたのだという。

「運命論者じゃないけれど、あのとき絶望して立った数寄屋橋交差点で、人生観が変わったことは、とても印象的な“デキゴト”でした」

 令和の世の中も、人間の本質は、きっと変わっていない。千年後の人たちにも、「デキゴトロジー」を読んで笑ってもらえますように。

(本誌・太田サトル)

週刊朝日  2021年11月26日号

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