人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、有吉佐和子と紀ノ川について。
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「紀ノ川」といえば、何を想い出すだろうか。ごく最近は、川にかかる水管橋が老朽化によって一部崩落。和歌山市の一部で断水が続いた。ようやく応急手当てが出来たが、根本的な解決には数年かかるかもしれない。
私は「紀ノ川」といえば、まず有吉佐和子の名作「紀ノ川」が浮かんでくる。
有吉佐和子は、和歌山が生んだ多才な作家であり、「紀ノ川」は、紀ノ川沿いの名だたる旧家(有吉の実家)の三代にわたる女性の物語である。
紀ノ川、日高川、有田川は彼女の作品を解くキーワードである。
「川の流れにさからって上にある家に嫁入りすると不幸になる」
といういい伝えがあるように、「紀ノ川」は川下に嫁いだ女性が、そこに根を張って、たくましく生きていく話である。
それら自伝的作品に暗示されているが、有吉佐和子の作品は、初期の「川シリーズ」にとどまらず、アメリカ、中国、ニューギニアなど様々な国に向かって開け、問題意識も「非色」の人種差別問題から、「複合汚染」といった環境問題、さらに「恍惚の人」では高齢化と認知症と、現代のかかえる問題を先取りしていた。
その多彩な問題意識はどこから来たのか。私は彼女の生まれ育った川との関連に見る。川は上流から様々な村落をうるおし、あるいは災害にまきこみながら、下へ下へと流れ、やがて海に至る。彼女の興味も少しずつ幅を広げて、ついに最先端の現在の諸問題にまでまっすぐに向かっていくのだ。
「有吉佐和子は三人いる」
と大学時代彼女を卒論に選んだ友人が言っていた。その有吉佐和子のシンポジウムで話をするために、私はたまたまパリで知り合った、和歌山高等女学校で有吉さんと同級生だった画家の仏蘭久(フランク)淳子さんに電話をした。
現在九十一歳、パリ在住でコロナの前までは、年に一、二回帰国して銀座で個展を開いていた。有吉さんは五十三歳で亡くなったが、もし今存命なら、九十歳でいったいどんな作品が生まれていたか、生き急いだとしかいいようがない。女学校を出て女三人で目黒へ下宿。有吉さんは東京女子大に進み、淳子さんは東京芸大へ。歌舞伎、文学、舞踊、演劇と、その知識の幅広さに驚かされた。