村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)
村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)

 デビュー直後、ギタリストの村治佳織さんは「将来の夢は?」と質問されて、「おばあちゃんになっても弾いていたいです」と答えたことがある。

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「プロフィルには、『3歳でギターを始めた』とありますが、私自身はギターとの出会いや始まりを意識していないんです。気がついたら弾いていた。それは、気づいたら自分の親が今の親だったという、そんな感覚でした(笑)」

 もうその時点で、村治さんにとってギターは、かけがえのない相棒だった。人前でギターを演奏することは楽しい。レコーディングもワクワクする。レッスンも好き。でも、メディアに出るときに必ずついてまわる「女子高生ギタリスト」という肩書だけは、素直に受け入れられなかった。

「演奏しているときは、一人のギタリストとして頑張っているのに、そこにわざわざ“女子”とつくことにも違和感があったし、“高校生”とつくのも、若いから物珍しがられているようでイヤでした。学校に行くときは高校生ですけど、『演奏している限り、それは関係ないでしょ?』と。でも、当時は、『卒業したらそんな肩書は外れるんだから』と我慢しました」

 今から30年近く前、公の場で、ジェンダー論など交わされていなかった時代のことだ。興味本位でつけられた肩書に抵抗する術を、まだ彼女は持たなかった。

「そんな経験も関係したのか、私自身は、女性らしく振る舞うことに恥ずかしさがありました。コンサートのとき以外はお化粧もしなかったし、20代の中頃までは、演奏するときの衣装もパンツスタイルが多かったです。音楽を第一に感じていただく上で、女性性が邪魔をするなら、無性でありたいと思った」

 それが、23歳で3カ月間スペインに滞在してから、意識が変わった。

「スペインで、艶かしくない健康的な女性らしさに出会って、『私も、これならいけるかな?』と。そこから髪を伸ばしたり、アクセサリーをゴールドに変えてみたり。あとは、思い切ってヘソ出しルックにも挑戦しました(笑)。以来、音色が明るくなったと言われますね」

 話は少し前後するが、3歳にしてすでに人生の相棒と出会った村治さんが、「ギターをやめるという選択肢もあるんだな」と気づいたのは、20歳のときだった。ギターが好きな気持ちに変わりはなく、「やめたい」と思ったわけでもないが、今のままギターと二人三脚の人生を続けていくためには、「続ける」という意思も必要なことに、はじめて気づいた。

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