村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)
村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)

「『女子高生』の肩書が取れて、ラクになったと思ったら、今度は、受け身なだけでは自分が成長していけないとわかったんです。それで、ようやく自分の将来についてちゃんと考えて、私の強みは、始まりもないぐらい自然にギターを始められたことなんだから、自然と長く続けていくことを目標にしよう、と」

 以来、“バランス”という言葉を大事にするようになった。能動と受動のバランス。仕事とプライベートのバランス。伝統と革新のバランス。いずれも、どちらかに偏りすぎないように。

 20代半ばで、英デッカ・レコードと日本人初のインターナショナル長期専属契約を結び、アジア、ヨーロッパ、アメリカなどで、コンサートやテレビ番組で演奏する機会を得た。ところが、30代半ばで舌腫瘍を患い、2年間の休養を余儀なくされた。

「そのときは、『これが挫折か』と思いました。本当に落ち込みましたし、つらかったですが、逆に、あのときが人生でいちばん、人の優しさに触れた時間だったように思います。(吉永)小百合さんは、プライベートで水泳に誘ってくださいましたし、ご主人の岡田(太郎)さんからは、『なりゆき』という言葉をいただいて。『バランス』を大事に生きてきた私が、『“なりゆき”でいいんだ』と、肩の力を抜くことができました」

 人と人との関係を深めるのは、仕事を介することがほとんどだったのが、病気になってはじめて人間と人間、真心と真心の触れ合いを感じた。

「先が見えないお休みの期間は苦しかったですが、その分、深い経験をさせていただいた。今にして思えば、学ぶことがたくさんあったなと思います。自分では、どうにもできない障害や災難に直面したときは、一旦状況を受け入れる。そのほうがうまくいくタイプなのかなとか、いろんなことを」

(菊地陽子 構成/長沢明)

村治佳織(むらじ・かおり)/東京都出身。1993年、デビューCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。翌年、日本フィルハーモニー交響楽団と共演し、協奏曲デビュー。97年、パリのエコール・ノルマルに留学。2003年、英国の名門クラシックレーベル、デッカ・レコードと日本人として初の長期専属契約を結ぶ。これまでに出光音楽賞、村松賞、ホテルオークラ音楽賞、2度の日本ゴールドディスク大賞など、受賞歴多数。

>>【後編/村治佳織 大病を患い、演奏スキルが身につく…その技術とは】へ続く

週刊朝日  2021年12月3日号