亡き母を語るときにも「明るさ」は忘れない嘉門さん
亡き母を語るときにも「明るさ」は忘れない嘉門さん

 母親が亡くなって改めて身内について考えることにもなったんですけど、母もそうだったように、ウチは本当に“書く家系”なんですよ。ひいおじいちゃんが亡くなった時も文集というか親族それぞれが思いをつづってましたし、とにかく書くんですよね。

 母は洋裁学校に行って洋裁で身を立てて、ウチの父と出会って子どもを3人産んで。活動的な人だったのでガールスカウトのリーダーもしてましたし、地域のいろいろな世話役みたいなこともしてましたし。大きな流れはもちろん知ってましたけど、それを改めて細かくつづられた文章で見ると、細かい心情まで書いてあるので、改めて感じることもありました。

 晩年でも携帯電話を使いこなして「こんなに便利なのよ」と周りの人に教えたりもしてましたし、改めて思うのは「こうしたらもっと楽しいんじゃないか」。それを常に考えていた人だったなと。そこは改めて自分も同じ血が流れているなと思います。

 書く家系であると同時に、前向きな一族だったなと思います。おじいちゃんは大陸から引き揚げてきて新しい稲の植え方を発案したりもしてましたし、母の姉は川島みどりといいまして看護師として「フローレンス・ナイチンゲール記章」を受章した人でもあるんです。

 今あるものよりも、今の当たり前よりも、一歩踏み出す。そこを自分が受け継いでいるんだなと思いますよね。

 こっちは無意識に「より面白いものを作ろう」と思ってやってきましたけど、実は根底にそういうものが流れてたんやなということを今回思いました。

 これまでも時事ネタを歌にもしてきましたけど、少し前で言うと、日本ハムの新庄剛志監督の歌も作りました。

 今でもやりたいことがどんどん出てくるんですよね。そして、もっと、もっとと求め続ける。これは母親からもらったものなんやろうなと思います。

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母が原稿用紙に書いていた「歌詞」