横尾忠則さん
横尾忠則さん
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 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの新連載「シン・老人のナイショ話」が「週刊朝日」で始まった。横尾さんが日々感じたことを書き綴る。

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「老親友のナイショ文」がセトウチさんの突然の旅立ちで二人の往復書簡が終止符を打たれることになりましたが、タイトルが「シン・老人のナイショ話」にリニューアルされて連載を継続することになりました。

 さて、誰に宛てて何を語ればいいのか、実は困っています。残された僕としても、残された時間がそんなにあるわけではありません。だからこの現世の見納めひとり旅に出掛けるつもりで、その時ふと思ったこと、ふと考えたこと、ふと直感したことを書いてみようかなと思っています。

 旅といっても肉体を移動させる旅ではなく、過去の人生を望遠鏡で眺めるように、ピントの合ったところに焦点を合わせて、どうでもいい、役に立たない話などをダラダラ書いてみたいと思います。僕の仕事は美術ですが、すぐ役に立つようなものではないと思います。人間は役に立つことばかりを求めて、その結果、文明を築き上げて、「なぜ? なぜ?」という質問を連発した結果、その答えを出そうとした科学者は核を作ってしまいました。人間の好奇心の追求の結果の結論が人類を死に追いつめてしまうような恐ろしい悪魔を出現させることになってしまったといえば、いい過ぎでしょうか。

 さて、こんな深刻な終末的な話をするつもりではなかったのです。役に立たないことをすることが、むしろ役に立つのではないかということを話してみようと思っていたのです。そこで美術の話になります。美術は実に不思議な道具です。お腹がすいたからと言って、絵具を食べるわけにもいかず、描いた絵のリンゴが食べられるわけでもありません。でも絵を鑑賞する人は、絵には味覚を満たす機能などないということはよく知っています。描かれた絵の中をあちこち旅をするようにして絵を愉しんでくれています。

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