クイーンの歌詞は、70年代では伝説や神話を取り入れるなど英国的に作りこんだ曲が目立つが、80年代になると、米国進出を意識したこともあり、シンプルさが特徴という。

「人生の応援歌と解釈できる歌がいくつもある。厳しい現実に立ち向かう勇気を与えてくれる。現実から逃れたいときに聴いても最強。しっかり寄り添ってくれる歌だから。SNSでバッシングされて悩む人にもクイーンのよさを勧めたい」(朝日さん)

フレディの熱唱。85年「ライブ・エイド」での歴史的パフォーマンスが上映されている(photo 小北清人)
フレディの熱唱。85年「ライブ・エイド」での歴史的パフォーマンスが上映されている(photo 小北清人)

あこがれと美を体現

 クイーンは、デビューからずっと英国などで評論家筋に叩かれ続けたバンドだ。ロックがカウンターカルチャーでなくなり、娯楽となった時代に大成功したせいもあるかもしれない。

「第二の母国」と呼ぶほど愛した日本のファンへの対応は格別だ。一部が日本語で歌われる曲「手をとりあって」では「僕らはみんな愚かで無知だと人は言うだろう でも心を強く持って くじけてしまわないで」と呼びかける。それがファンの心に刺さるのだ。

 70年代に日本の少女の心をワシ掴みにしたクイーン。あこがれと美を体現する存在として、メンバーを少女漫画のイラスト風に描くなど多くの人が「私だけのクイーン」愛を育てた。年齢を重ねたいまも想いが変わらない人もいるだろう。

 長年のビートルズファンである筆者は何となくわかる気がする。ジョンとポールが演奏中に軽く笑顔でうなずきあう映像を見ると、満ち足りた、幸せな気分になる。この喜びは他のものでは代えがたい。ファンにしかわからない愛し方があるのだ。

「地獄へ道づれ」「永遠の誓い」「アンダー・プレッシャー」「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」「ONE VISION─ひとつだけの世界─」「アイ・ウォント・イット・オール」──。80年以降の名曲の数々。あ、どこかで聴いたな、という曲ばかりだ。

 アフリカの非キリスト教徒の家に生まれ、インドで育ち、難を逃れ英国に移り住んだフレディの人生を思うとき、その背景と才能が、クイーンを唯一無二の「娯楽としてのロックの巨人」たらしめたと思わずにいられない。

 THE SHOW MUST GO ON.(ライター・小北清人)

AERA 2021年12月6日号

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